アメリカのプロ野球選手(右投左打)。1957年から大リーグ(メジャー・リーグ)のクリーブランド・インディアンス、カンザスシティ・アスレチックス(現オークランド・アスレチックス)、ニューヨーク・ヤンキース、セントルイス・カージナルスで外野手としてプレーした。1961年にベーブ・ルースのもつ年間ホームラン記録を34年ぶりに更新する年間61本の大リーグ新記録(当時)を樹立したことで知られる。
9月10日、ミネソタ州のヒビングで生まれる。アスレチックスからヤンキースにトレードされた1960年、ホームラン39本、打点112で初の最優秀選手賞(MVP)を受賞。翌61年、同じチームのミッキー・マントルとともにホームランを量産し、この強打コンビはそれぞれの頭文字をとって「MM砲」と命名された。これがのちに東京読売ジャイアンツの王貞治(おうさだはる)、長嶋茂雄(ながしましげお)のコンビが「ON砲(オーエヌほう)」とよばれる由来となった。1961年の2人のホームラン合戦は途中でマントルが故障で戦列を離れて決着がついたが、マリスはその後も打ち続け、9月26日に大リーグタイ記録となる60号、シーズン最終戦の対ボストン・レッドソックス戦には、新記録となる61号を放った。この年、ホームラン王を獲得するとともに、打点(142)、得点(132)もリーグトップで、2年連続のMVPに輝いた。しかし、その後は故障などに悩まされ、1967年にカージナルスに移籍。同年のワールド・シリーズで打点7の活躍をみせて優勝に貢献し、リーグ優勝した1968年に引退した。
12年間の通算成績は、出場試合1463、安打1325、打率2割6分、本塁打275、打点851。獲得したおもなタイトルは、本塁打王1回、打点王2回、MVP2回、ゴールドグラブ賞1回。
[出村義和]
アメリカの生化学者。ノース・カロライナ州生まれ。ジョージア工科大学を卒業し、1973年にカリフォルニア大学バークリー校で生化学の博士号を取得。カンザス医科大学、カリフォルニア大学での研究を経て、1979年バイオテクノロジー企業のシータス社にエンジニアとして入社する。1988年からザイトロニクス社(カリフォルニア)で分子生物学部長。その後、数々の核酸化学分野の企業コンサルタントを務め、バースタイン・テクノロジー副社長となる。シータス社在籍時、遺伝子診断のための研究の一端として、微量DNA(デオキシリボ核酸)からその塩基配列を決定する方法を探索。1986年に、熱耐性DNAポリメラーゼを用いて鋳型となるDNAを複製させては加熱して、2本鎖DNAをほどく行程を繰り返すことによって、微量のDNAでも、簡便かつ効率よく増幅できるPCR法(polymerase chain reaction)を開発した。この方法は、遺伝病やエイズをはじめとする病気の診断や犯罪捜査などに幅広く応用されている。この功績により1993年、オリゴヌクレオチドを利用した突然変異法を開発したM・スミスとともにノーベル化学賞を受賞した。
[馬場錬成]
『キャリー・マリス著、福岡伸一訳『マリス博士の奇想天外な人生』(2000・早川書房)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
アメリカの生化学者.1966年ジョージア工科大学卒業.1973年カリフォルニア大学バークレー校で生化学の学位を取得した後,カンザス大学研究員などを経て,1979年シータス社に入社.1983年DNAを指数関数的に増幅するPCR(ポリメラーゼ連鎖反応)法の概念を思いつき,2年後には実用化に成功した.現在では,生命科学の基礎研究から法医学まで幅広く利用されている.この業績で,1993年ノーベル化学賞を受賞.1986年シータス社を退社して,ザイトロニクス社分子生物学部長に就任.さらに2年後には独立し,企業コンサルタントなどをしている.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
…ハンガリー語でマロシュMaros川。古代から知られた川で,古名をマリスMaris川という。全長766kmで,ティサ川支流中,最大の川であり,うち718kmはルーマニア領内を流れる。…
※「マリス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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