マントル(読み)まんとる(英語表記)Mickey Charles Mantle

日本大百科全書(ニッポニカ) 「マントル」の意味・わかりやすい解説

マントル(地球内部)
まんとる
mantle

地球内部の核と地殻に挟まれた部分。地球の内部には地震波の速度が急激に変化する不連続面がいくつかあり、それらをもとに、中心から核、マントル、地殻に分けられている。マントルは地球体積の83%、質量では68%を占めている。マントルと核の境界は、アメリカの地震学者グーテンベルクにちなみ「グーテンベルクの不連続面」とよばれ、深さ2900キロメートルにあり、地殻とマントルの境界であるモホ面は大陸の下で30キロ~60キロメートル、海洋の下で5キロ~10キロメートルの深さにある。深さ400キロ~1000キロメートルの上部マントルでは、地震波速度や密度が急激に増加し遷移層とよばれることがある。なかでも670キロメートル付近の深さにある地震波の速度の不連続面は顕著で、この面を境にマントルは、上部マントルと下部マントルに分けられている。そして、深さ70キロ~250キロメートルには地震波速度の低下する層(低速度層)がある。ここではマントルを構成する物質が部分溶融している。このことから深さ100キロメートル付近のマントルの温度は1000℃以上であると考えられる。また、マントルと核の境界における温度は3000~5000℃であろうと推定されている。

 マントルを力学的性質からみると、低速度層より上の部分は低速度層に比べ粘性率は高く、粘性率ηを、SI単位パスカル秒(Pa・s)で表すと
  η=1022~1025Pa・s
となり、剛体的な硬い層なのでリソスフェアとよばれ、その下のマントルは流動しやすく
  η=1021Pa・s
となり、アセノスフェアとよばれている。リソスフェアはプレートともよばれ、マントル対流によってアセノスフェアの上を漂移し、大陸移動や海洋底拡大などプレートテクトニクスに大きくかかわっている。

 マントル最上部を構成する岩石は、キンバレー岩などのアルカリ岩を噴出する火成活動の際に捕獲岩として地表に運ばれるので、直接分析することができる。モホ面から深さ250キロメートルまでは、おもに橄欖(かんらん)石(オリビン)や輝石からなる橄欖岩でできている。マントル深部の化学組成鉱物組成は直接推定することができないため、さまざまな説が唱えられている。従来は、深部マントルを構成する始源物質が分化して海洋地殻玄武岩質)と最上部マントル(橄欖岩質)が形成されたと考え、深部マントルは橄欖岩と玄武岩を3対1の割合で混成した、仮想的な岩石パイロライトpyroliteからなっていると考えられていた。しかし、最近では地球形成期にマントルは溶融分化したため、下部マントルは上部マントルに比べてシリコンに富んでいるという説も注目されるようになってきた。この説によると670キロメートルの不連続面は、化学組成と鉱物組成の境界面である。いずれの説でも深さ450キロメートルと670キロメートル付近の地震波速度の急激な増加は、橄欖石→スピネル型Mg2SiO4→ペロブスカイト型MgSiO3+マグネシオウスタイトという圧力増加に伴う相転移に起因していると考えられる。大局的にはマントルの主要元素組成は橄欖岩質であると考えてよいであろう。

水谷 仁]


マントル(Mickey Charles Mantle)
まんとる
Mickey Charles Mantle
(1931―1995)

アメリカのプロ野球選手(右投左右打)。大リーグ(メジャー・リーグ)のニューヨーク・ヤンキースでおもに外野手としてプレー。三冠王を獲得してヤンキースの黄金時代を支え、驚異的な飛距離のホームランでもファンを魅了し、「史上最高のスイッチ・ヒッター」といわれた。

 10月20日、オクラホマ州スパビナウで生まれる。1949年、ヤンキースに入団。1951年に大リーグ初昇格を果たした。この年は、ヤンキースのワールド・シリーズ5連覇の3年目にあたり、往年の大スター、ジョー・ディマジオの現役最後のシーズンでもあった。1955年に初の本塁打王を獲得、56年には打率3割5分3厘、ホームラン52本、打点130で三冠王となり、ワールド・シリーズ優勝にも貢献して最優秀選手(MVP)に選ばれた。1957年も、無冠ながらリーグ優勝に貢献してMVPを受賞。その後、1958年と60年にも本塁打王を獲得した。その1960年にロジャー・マリスが加入してきて、「MM砲」といわれた。2人は1961年、競うようにホームランを打ち、ベーブ・ルースのもつ60本塁打のシーズン記録(当時)に迫った。だが、マントルが故障で先にリタイアして54本に終わり、最終戦でマリスが61本を記録した。1962年も故障に悩まされたが、ワールド・シリーズ制覇に貢献して3回目のMVPを受賞した。その後も故障と戦いながらプレーを続けたが、1968年限りで引退した。

 18年間の通算成績は、出場試合2401、安打2415、打率2割9分8厘、本塁打536、打点1509。獲得したおもなタイトルは、首位打者1回、本塁打王4回、打点王1回、MVP3回、ゴールドグラブ賞1回。1974年に野球殿堂入り。

[山下 健]

『ミッキー・マントル、ロバート・スミス共著、宮川毅訳『ミッキー・マントル自伝 大リーガーへの道』(1977・ベースボール・マガジン社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マントル」の意味・わかりやすい解説

マントル
mantle

地球内部の分類の一つで,地殻との中間層。大陸の下では平均約 35km,海洋の下では 5~10kmの深さにあるモホロビチッチ不連続面と,深さ 2900kmにある核の上面の間の地球部分。体積は地球の 83%を占める。ケイ素,マグネシウム,鉄を主成分とする橄欖岩で構成される。深さ 410~660kmの間で地震波の速度が急激に増加する層があり,橄欖岩の結晶構造が圧力とともに変わることに対応している。この層を遷移層と呼び,これより浅い部分(遷移層を含めることもある)を上部マントル,660kmより深い部分を下部マントルという。マントル最上部の密度は 3.4g/cm3程度,深さとともに密度が大きくなり,最下部では 5.6g/cm3程度である。温度は最上部で 500℃程度,深さとともに高くなり,核との境界付近では 4000℃と推定されている。マントルは固体であるが,きわめてゆるやかに流れる性質も持ち合わせている。地殻を含めた深さ 100km程度まではリソスフェアと呼ばれる流れにくい領域で,その下にある上部マントルの残りの部分はアセノスフェアと呼ばれる流れやすい領域,さらにその下の下部マントルはメソスフェアと呼ばれ,再び流れにくい性質の領域になる。(→マントル対流

マントル
Mantle, Mickey

[生]1931.10.20. オクラホマ,スパビノー
[没]1995.8.13. テキサス,ダラス
アメリカ合衆国のプロ野球選手。フルネーム Mickey Charles Mantle。強力なスイッチヒッター(左右両打ち打者)として知られる。1951~68年アメリカンリーグのニューヨーク・ヤンキーズでプレー。通算 536本塁打を残し,1955,1956,1958,1960年の 4度にわたりリーグ本塁打王に輝いた。1961年に自己最多の 54本塁打を放ったが,チームメートのロジャー・マリスがベーブ・ルースの記録を上回るシーズン最多本塁打を達成したためタイトルは逃した。1956年には本塁打王,打点王,首位打者の三冠を達成。ワールドシリーズには 12回出場し,シリーズ最多記録となる 18本塁打を放った。1956,1957,1962年にはリーグ最優秀選手 MVPに選ばれている。引退後はヤンキーズのコーチや生命保険の販売などを手がけたが,1983年,ニュージャージー州アトランティックシティーのカジノで広報活動にかかわったという理由で,当時のコミッショナーによりプロ野球界から追放された。この処分は 1985年に解除されている。1974年野球殿堂入りを果たした。

マントル

外套膜」のページをご覧ください。

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