マリンスキー劇場バレエ団(読み)まりんすきーげきじょうばれえだん(その他表記)Мариинский театр балета/Mariinskiy teatr baleta

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

マリンスキー劇場バレエ団
まりんすきーげきじょうばれえだん
Мариинский театр балета/Mariinskiy teatr baleta

ロシアのサンクト・ペテルブルグにあるバレエ団。旧名キーロフ・バレエ団Киров балета/Kirov baleta。正式名称は国立アカデミー・マリンスキー劇場バレエ団Государственный Академический Мариинский театр балета/Gosudarstvennïy Akademicheskiy Mariinskiy teatr baleta。一般的には今でも劇場の旧名であるキーロフ・バレエ団とよばれている。1738年にペテルブルグの帝室舞踊学校として創設され、1783年開場のペテルブルグ・ボリショイ劇場、1860年開場のマリンスキー劇場、1935年からはキーロフ劇場ソ連崩壊に伴い、ふたたびマリンスキー劇場と所属劇場の名称が変わったが、ロシア帝室バレエの本拠地として最古の歴史をもつバレエ団で、現在もモスクワのボリショイ・バレエ団とともに世界的に著名である。

 バレエ後進国であったロシアでは、外国から教師、振付師、踊り手を招聘(しょうへい)して技術を習得したが、初期にはイタリア人のアンジニオリーニ、プーシキンの作品をバレエ化したフランスのディドロCharles-Louis Didelot(1767―1837)、バレリーナとしてはイストミーナらがいた。1847年にはフランスからプチパが招かれ、19世紀末までに『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』『白鳥の湖』『ライモンダ』など数多くの古典バレエ傑作を振付け上演した。20世紀初めには、クシェシンスカヤMatilda Kshessinskaya(1872―1971)、ワガーノワパブロワカルサビナニジンスキーフォーキンらの優れたダンサーや振付師が輩出。革命(1917)後、ロプホフFyodor Lopukhov(1886―1973)、ゴレイゾフスキーKasyan Goleizovsky(1892―1970)、バランチンらを生み、ワイノーネンVasili Ivanovich Vainonen(1901―1964)の『パリの炎』、ラブロフスキーLeonid Lavrovsky(1905―1967)の『ロメオとジュリエット』などの名作がある。ボリショイ・バレエ団と比較して、叙情性を特徴としている。ウラーノワ、ドジンスカヤ、マカロワNatalia Makarova(1940― )、コルパコワIrina Aleksandrovna Kolpakova(1933― )など叙情的なダンサーが多い。ヌレーエフ、バリシニコフもこのバレエ団出身である。

[市川 雅]

『パトリシア・バーンズ著、ケイコ・キーン訳『劇場通りの子供達』(1981・文化出版局)』

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