マルゲリータ・ディ・パルマ(読み)まるげりーたでぃぱるま(英語表記)Margherita di Parma

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

マルゲリータ・ディ・パルマ
Margherita di Parma; Margarete von Österreich

[生]1522.12.28. アウデナルデ
[没]1586.1.18. オルトナ
パルマ公妃。ドイツ名マルガレーテ。スペイン王カルロス1世 (神聖ローマ皇帝カルル5世 ) の庶子で,フェリペ2世の義姉。 1536年フィレンツェ公と結婚したが死別し,38年パルマ公オッタビオ・ファルネーゼと結婚。 59年フェリペ2世の意を受け,スペイン領ネーデルラントに対する支配を強化するため,総督となり,絶対主義的政策を遂行したが,ネーデルラントの貴族商人反抗が強まったために,アルバ公のブリュッセル到着に伴い退任 (1567) 。息子のアレッサンドロ・ファルネーゼがネーデルラントの軍司令官になり,やがて正式に総督になる前後,再度その内政を担当した (81~83) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

マルゲリータ・ディ・パルマ
まるげりーたでぃぱるま
Margherita di Parma
(1522―1586)

パルマ公妃、スペイン領ネーデルラントの摂政(せっしょう)。神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)の庶子としてネーデルラントで生まれる。1536年フィレンツェ公メディチ家のアレッサンドロと結婚、翌年夫が暗殺される。38年パルマ公と再婚、これも不幸であった。男勝り性質で59年フェリペ2世からネーデルラントの摂政に任ぜられて属領政策に協力したが、反抗・独立運動に直面し、67年アルバ公と交代してイタリアへ隠退した。

[諸田 實]

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