出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
京劇以前,中国の南北で最も流行した演劇。崑劇,崑腔ともいう。開祖は魏良輔とされ,16世紀中期,彼は江蘇省崑山の曲調にそれまでの南北曲を取りいれ,繊細婉転たる“ふし”を創造した。さらに伴奏に笛,簫,笙,琵琶と打楽器を含め,各種の伝統演芸をも吸収して整備した演劇を形成した。梁辰魚《浣沙記》の成功以後,多数の作品が生まれた。17世紀より見取り狂言が流行して舞台が精緻になり,舞台衣装・道具の美化,役柄の細分化,歌舞と内容の結合の深化,隈取りの多様化がすすんだ。李漁《閑情偶寄》などの演劇論や《綴白裘(てつはつきゆう)》などの演出本,1746年(乾隆11)刊《九宮大成譜》に歌詞・音譜が公開されているのも特徴である。18世紀後半より衰微したが,北京に残留して北方語を用いるのを北方崑曲という。崑曲は京劇,川劇など多くの地方劇に影響を与えた。解放後,1961年《十五貫》が大評判となり再び脚光を浴び,64年には現代革命劇の《瓊花(けいか)》も試みられた。
執筆者:吉川 良和
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中国の歌曲の腔調(こうちょう)(節回し)の一つ。またそれが歌われる芝居をいう。明(みん)の嘉靖(かせい)年間(1522~66)に江蘇(こうそ)の崑山(こんざん)の魏良輔(ぎりょうほ)が、従来のメロディにくふうを加えて創始した。崑山腔ともいう。梁辰魚(りょうしんぎょ)がこの腔調にあわせて戯曲『浣紗記(かんさき)』を書いて好評を博し、また曲律を重んずる沈璟(しんえい)らの呉江派が、崑曲によるべきことを主張したこともあって、広い地域に急速に流行した。清(しん)の乾隆(けんりゅう)年間(1736~95)以降北京(ペキン)を中心に京劇が流行するが、そのころまでは崑曲が劇界の主流を占めていた。他の地方劇を花部とよぶのに対し、崑曲が雅部と称されたのは、音調が優雅で、読書人に好まれたからである。
[岩城秀夫]
…最も著名なのは江西臨川の湯顕祖で,《紫釵記》《還魂記》《南柯記》《邯鄲記》の作があり,中でも《還魂記》は文辞構成ともにすぐれ,かつ恋愛の自由な姿を謳歌したので,天下の子女の喝采を博した。 ところで,歌辞をうたうには土地によって流派を異にし,発祥の地名を冠して海塩腔・弋陽腔(よくようこう)・余姚腔などと称していたが,嘉靖年間に崑山の魏良輔がはじめた崑曲の調べが好評で,急速に各地に伝播した。曲律を重んずる劇作家の沈璟は,専ら崑曲によって戯曲を書くことを主張し,梁辰魚が崑曲に合わせて作った《浣紗記》は,世人の耳を喜ばせ,崑曲の勢力を伸張した。…
…元雑劇にみられたような,素朴な民衆生活に取材した作品や,庶民感情に根ざすはつらつとした精神は失われ,かわって歴史上の著名な人物故事を扱って,理想的な一対の〈才子佳人〉の悲歓離合・再会団円のさまを描こうとし,表現はもっぱら典雅に傾いて,詞藻の美を追求する傾向を深めてゆく。 嘉靖年間(1522‐66)の初め,蘇州崑山地方の〈崑腔(崑曲)〉が魏良輔によって大改良されるや,その清柔優美なメロディは文人の好尚にすこぶるかない,従来の海塩腔,弋陽(よくよう)腔,余姚(よよう)腔等をおさえてはやり出し,これを用いて作られた梁辰魚の《浣紗記》により,決定的な流行をみるようになった。続く万暦年間(1573‐1619)にもっとも傑出した作家が湯顕祖で,彼の代表作《還魂記》は南戯の最高傑作とされ,典雅艶麗な文辞と巧みな構成とを得て,曲折波瀾にとんだ甘美な才子佳人劇の一極致を描いた。…
※「崑曲」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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