日本大百科全書(ニッポニカ) 「まんのう長者」の意味・わかりやすい解説
まんのう長者
まんのうちょうじゃ
各地に伝わる長者伝説で、満能(まんのう)長者、真名野(まなのの)長者、万の長者などという。とくに豊後(ぶんご)(大分県)のまんのう長者伝説が名高い。前半は、炭焼きから身をおこして長者になったという炭焼き長者譚(たん)として語られている。京に玉津姫といって顔に黒痣(あざ)のある姫がいたが、神のお告げによって豊後の炭焼き小五郎と夫婦になる。小五郎は、妻にもらった小判を鴨(かも)に投げつけて失うが、驚く妻に、あのようなものならば炭焼き竈(がま)のそばにいくらでもあると話す。そのことばどおりに黄金を発見し、のちに真名野長者になったという話で、すこしずつ変化して各地に分布している。後半は、この長者には子がなかったので観音様に祈願して美しい女児を授かり玉依姫(たまよりひめ)と名づける。姫の評判を時の用明(ようめい)天皇が聞き、勅使を遣わすが意に従わない。怒った帝は「芥子(けし)を万石差し出せ」「両界の曼荼羅(まんだら)を織れ」といった難題を出すが、ことごとく解決してしまう。帝は自ら身をやつし、山路と名のって長者の牛飼いとして働いて姫を迎える。大分県竹田(たけた)市蓮城寺(れんじょうじ)は真名野長者の跡と伝え、長者堂のほか、用明天皇の腰掛け石などが残っている。中世の舞の本『烏帽子折(えぼしおり)』にみえる山路の牛飼いの挿話は、この伝説のもっとも古い記録として知られ、近松の作品『用明天皇職人鑑(しょくにんかがみ)』の成立に大きな影響を及ぼしている。長者の名については、富を表現しているとする説のほか、これらの説話を持ち歩いた巫女(みこ)の名に由来するとの説がある。
[野村純一]