ミドハトパシャ(英語表記)Midhat Paşa

改訂新版 世界大百科事典 「ミドハトパシャ」の意味・わかりやすい解説

ミドハト・パシャ
Midhat Paşa
生没年:1822-84

オスマン帝国の第1次立憲制樹立(1876)に大きな役割を果たした政治家イスタンブールに生まれ,18歳で官界に入った。以後着実に昇進し,国家会議議長(1868),バグダード州知事(1869)等を歴任。1872年には大宰相(サドラザム)に任じられたが,わずか3ヵ月で辞任した。その後,スルタンに疎まれて不遇時代を送ったが,76年5月,軍隊の協力も得てスルタン,アブデュルアジーズ退位ムラト5世即位に成功した。その後さらに,アブデュルハミト2世を即位させて憲法起草に努力し,76年12月には自ら大宰相となり,アジアで最初の憲法(ミドハト憲法)を発布した。しかし,1ヵ月半後にスルタンにより辞任させられ,国外に遠ざけられた。その後,一時,シリア州知事等に任じられたが,81年,アブデュルアジーズ殺害の容疑により裁判にかけられてアラビア半島ターイフ刑務所に送られ,その地で処刑された。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ミドハトパシャ」の解説

ミドハト・パシャ
Midhat Paşa

1822~84

オスマン帝国の政治家。イスタンブル生まれ。各地地方官などをへて,1871年と76年の2度大宰相となり,帝国の自由主義的改革に努め,76年憲法(ミドハト憲法)を制定した。のちスルタン,アブデュルハミト2世対立。81年死刑を宣告されたが流刑に軽減され,アラビアのタイフで死んだ。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ミドハトパシャ」の解説

ミドハト=パシャ
Midhat Pasha

1822〜84
オスマン帝国末期の革新的政治家
各州の知事を歴任したのち,アブデュル=ハミト2世治下の1876年,2度目の大宰相となり,ミドハト憲法を発布した。しかし,反対派策謀皇帝憎悪のため,露土(ロシア−トルコ)戦争敗北の責任を問われて,アラビアに流刑され,ここで死亡した。

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世界大百科事典(旧版)内のミドハトパシャの言及

【ダマスクス】より

…ヨーロッパ人の来住者が増大するにつれて西欧文化も知識人の間に徐々に浸透し,97年にはダマスクスで最初のアラビア語新聞《シャームal‐Shām》が刊行された。1878年にダマスクス総督となったトルコのミドハト・パシャは,曲がりくねった小路を取り壊して直線の大路に市場を移し,ミドハト・パシャ市場やハミーディーヤ市場を開設して市内の面目を一新した。カシオン山に連なる郊外のサーリヒーヤal‐Ṣāliḥīyaにも,クルド人やクレタ島からの移住者が住みつき,またトルコ人高官の邸宅が建設されたことにより,12世紀に起源をもつこの市街地はさらに拡大して現在に続く町並みがつくられた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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