ミュー・ロケット(その他表記)Mu rocket

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミュー・ロケット」の意味・わかりやすい解説

ミュー・ロケット
Mu rocket

東京大学宇宙航空研究所(→宇宙科学研究所)が開発した大型固体燃料ロケットラムダ・ロケットの後継機。初期は 4段式で,ロケット・モータは下から M-10,M-20,M-30,M-40と名づけられた。第1回の M-10の地上実験は 1964年3月秋田県能代実験場で行なわれ,最大推力 30tを出した。翌 1965年5月長さ 13m,重さ 20tの M-10エンジンの第1回燃焼試験では推力 100tを記録した。1966年に完成した M1型1号機は同 1966年10月に発射され,高度 34km,水平に 180km飛行。M1型1号機は全長 23.04m,重量 43.28tの 4段式で,第2段,第3段,第4段はいずれもダミー模型)であった。1969年8月には第3段のみダミーの M-3D型1号機が発射に成功。1970年9月には初めて 4段全部に燃料を詰めた M-4S型1号機が打ち上げられたが,姿勢制御用のロケット・エンジンの電磁弁が故障したため第4段が点火せず,科学衛星 MS-F1軌道に乗せることに失敗した。1971年2月16日に鹿児島県内之浦(→内之浦宇宙空間観測所)から発射された M-4S型2号機は,全長 23.56m,重量 43.7t,最大直径 1.41m,補助ブースタを含めた推力 200tのロケットで,試験衛星 MS-T1(『たんせい』)を地球のまわりの長円軌道に乗せることに成功。その後,3段式の M-3C型,M-3H型,M-3S型,M-3SII型が開発された。1990年代に入り,科学観測ミッションの要請にこたえるため,各段の大型化と機体構成の簡素化をはかった 3段式のM-Vロケットが開発された。M-Vロケットは 1997年から 2006年まで運用され,新型の固体燃料ロケットイプシロンに引き継がれた。

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百科事典マイペディア 「ミュー・ロケット」の意味・わかりやすい解説

ミューロケット

東京大学宇宙航空研究所が,科学観測衛星打上げのため開発した大型ロケット。ラムダロケットに続くもので,1964年に宇宙航空研究所に引き継がれ,1966年1号機を試射最初の衛星打上げは4S型で,固体推進剤4段,最大直径1.4m,全長23.6m,重量43.8t。1971年2月16日の〈たんせい〉打上げ,および同年9月28日の〈しんせい〉打上げに使用。1974年2月の〈たいせい〉からは新型の固体推進剤3段の3C型が使われた。また重量61tの3SII型を1985年1月から運用,1989年2月の4号までで4つの科学衛星を打ち上げた。最終機は無人回収型カプセル衛星の打ち上げに失敗した。1989年宇宙開発政策大綱見直しにより,V型中型ロケットの開発が認められ,1994年度に初号機が飛行。
→関連項目ロケット(工学)

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世界大百科事典(旧版)内のミュー・ロケットの言及

【宇宙開発】より

…これは東大生産技術研究所を中心とする文部省および大学関係を中心に組織され,国際地球観測年の後も事業は継続され,ロケットはラムダ,ミューと大型化した。そして64年宇宙科学研究のための全国大学共同利用研究所として宇宙航空研究所が誕生,科学衛星計画を担当することになり,この結果,これまでの観測ロケットはすべてこの研究所が引き継ぎ,新たにミューロケットの開発が始まった。70年2月日本初の人工衛星〈おおすみ〉がラムダ4S型5号機によって打ち上げられ,翌年にはミュー4S型ロケットにより科学衛星の1号〈しんせい〉が打ち上げられて,科学衛星による観測が本格的に始められた。…

※「ミュー・ロケット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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