日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミルラン」の意味・わかりやすい解説
ミルラン
みるらん
Alexandre Millerand
(1859―1943)
フランスの政治家。弁護士からパリ市会議員を経て、1885年に急進派の下院議員となる。労働運動の支援を通じてしだいに社会主義陣営に接近、1893年には独立派系社会主義者として再選された。左翼諸潮流に開かれた『小共和国』紙を主宰して論陣を張り、1896年には、「選挙を通じた平和的社会主義革命」を唱えるサン・マンデ共同綱領を推進し、ジョレスらとともに社会主義諸派の統一を呼びかけた。しかし、1899年にはドレフュス事件収拾のためのワルデック・ルソー内閣に通産相として入閣したため、かえって社会主義陣営を入閣支持派(ジョレス派)と反対派(ゲード派)とに分裂せしめることとなった。同内閣では、労働時間削減や社会保険など労働者保護立法に取り組んだが、サンジカリストやゲード派の強い反発を受けてしだいに社会主義陣営から離れ、1905年の統一社会党の結成にも参加しなかった。その後、公共事業相(1909~1910)として鉄道ゼネストを厳しく弾圧、また国防相在任中(1912~1913、1914~1915)にはナショナリストの立場を一段と強めた。第一次世界大戦後は、右派の「ブロック・ナショナル」のリーダーの一人として、アルザス・ロレーヌ全権特使(1919)、首相兼外相(1920)を歴任。1920年9月、大統領に就任。ポーランド介入やルール占領(1923)を推進するなど、対外強硬姿勢を貫いた。だが、1924年の総選挙で「左翼連合」に敗れて大統領辞任を余儀なくされた。以後は上院議員(1925~1940)を務めたのち、第一線を退いた。
[谷川 稔]
『中木康夫著『フランス政治史 上・中』(1975・未来社)』