翻訳|Alsace
フランス北東部,ライン川左岸の地方。ドイツ語ではエルザスElsassと呼ぶ。現在はほぼバ・ラン県,オー・ラン県とベルフォール管区の範囲にあたる。
アルザスはライン地溝帯の南西部を占め,西はボージュ山地,東はライン川,南北をそれぞれスイス,ドイツとの国境に接している。アルザス平野の標高はおよそ100~200m,主としてライン川およびその支流のイル川の湿地性氾濫原(リード)と低い砂礫段丘,丘陵からなる。段丘と山地よりの丘陵はレス(黄土)に覆われて肥沃であり,ボージュ山麓には約1万haのブドウ園が広がっている。ボージュ山地は北部で標高300~400m,南部で1000m以上に及び,ライン沿岸の低地から断層壁の急な斜面でそびえている。
アルザスの名は前1世紀ころ,ローマ人に占領され,アルサティアAlsatiaと呼ばれたことに由来する。古くはガリア人が居住し,その後ローマ人が占領し,5世紀までローマ領であったが,ゲルマン民族のアラマン人が侵入した。496年にはクロービスの率いるフランク人がアラマン人を打ち破り,アルザスを統治した。メロビング朝の下で,入植が進みキリスト教への改宗も行われ,カロリング朝の統治下に移行した。10世紀から神聖ローマ帝国の一部となったが,1648年のウェストファリア条約によって,ほとんどの土地がフランス領に帰属した。アルザス人はアルザス語(ドイツ語方言の一つ)を相変わらず話していたが,1648年から1871年の間に徐々にフランスへの帰属意識が培われた。しかしながら,1870-71年の普仏戦争後はドイツ領になり,第1次大戦後フランス領に戻ったが,第2次大戦中はまたドイツ領となり,戦後はフランス領となっている。この100年間だけをみても,アルザス地方はドイツ,フランスとなん度も国籍を変え,第2次大戦中アルザス人はドイツ軍に編入されてソ連軍との戦線に送られ,帰らぬ者が多かったといわれるほど不幸な歴史をもつ。したがって,長い戦争体験がなん世代にもわたって受け継がれてゆく中で,密告を恐れ,また人種のるつぼと化したこの土地で,フランス語で語れない内容の話をアルザス語に切り換える知恵を,アルザス人は身につけている。
このように,歴史的には数々の辛酸をなめてきた地方であるが,アルザスの風景は実に美しく,風土のより厳しいドイツの人々にとっては陽光のあふれる庭園である。ストラスブール大学で法学士となったゲーテも,名高い大聖堂の展望台から見たアルザスの景観を激賞している。ボージュ山地の障壁によって西風から保護され,南から吹きこむ風のフェーン現象もあって,アルザスは比較的乾燥し暖かな土地柄である。しかしながら,内陸部に位置しているため,気候は大陸的で冬は厳しく,年間の天気も変わりやすい。4月中旬になってようやく春が訪れ,夏は6月初めからで8月中旬に終わる。秋はいつともなく過ぎ,やがて長い冬がやって来る。冬に入る前の黒い雲が低くたれこめた空は耐え難いほどである。ちなみに暖房の期間は9月中旬から翌年5月中旬までの約8ヵ月間続く。
ところで,アルザスはライン川と沿岸のルートを利用して中世以来南北の交易が活発に行われてきた地域で,都市が早くから発達した。アルザス最大の都市はストラスブールであるが,周辺の市町村と合併できないため,人口は30万人を割っている(26万4000,人口集積地域は約40万。1999)。フランスの町村は自治の精神が強く,大きな都市と容易に合併しない。アルザス南部の中心地は綿工業で栄えたミュルーズで,人口11万(1990)。近くにはカリ鉱山がある。オー・ラン県の県庁所在地はミュルーズではなく,ボージュ山麓の小都市コルマール(人口6万7000,1979)にある。ボージュ山麓にはブドウ栽培と綿工業で栄え,大都市への工業集中により,ゆっくり衰微した都市が数珠つなぎに連なっている。人口は現在4000から8000程度に過ぎないが,北からモルスハイム,オベルネ,バール,タン等,アルザスの景勝地はライン川沿いよりもボージュ山麓に多く,そこで賞味されるブドウ酒と相まって,観光客をひきつけている。
人口密度が1km2あたり200人(1994)とフランス(106人)の中では相対的に高いこともあり,アルザスの農業は比較的集約的である。航空写真でみると,平野の農業景観はモザイク状をなし,地上にはムギ,トウモロコシ,テンサイ,ジャガイモ,タバコ,ホップ等々の畑が並んでいる。ボージュ山麓の丘陵部分ではブドウ栽培が行われ,リースリング,ゲビュルツラミナーをはじめとするアルザス・ワイン(白ブドウ酒が主)を醸造している。中世にはブドウ栽培で村々は大きな利益をあげ,収穫時に押し寄せる盗賊騎士や周辺の村々の敵から守るため,要塞村village fortifiéもいくつか存在している。また,アルザス平野のレス土壌地域の村落では,家屋の大きさが社会構造を反映している。村の中心部には,四角い中庭を持つ大農が高い壁に囲まれて居住し,村の周辺には村落ボスの所でかつて働いていた農業日雇いの小家屋が並んでいる。
次に,アルザスの工業立地をおおまかに見れば,時代と共に西側の山麓地域から,アルザス大運河のある東のライン川沿いへと移動しているのがわかる。水力を利用した初期の精錬業,ガラス工業から,平野部農村の過剰人口を利用した紡績業の発達,さらに戦後には石油関連産業の立地としてライン川沿いの土地が求められたためである。現在,産業人口の5分の2以上を占める工業は,バ・ラン県よりもオー・ラン県で盛んである。かつての綿工業,食料品(特にビール醸造業)に代わり,機械製造,電気工業が卓越する。エネルギー源としては,ストラスブールの郊外で精製される石油と,アルザス大運河の水力発電による電力(フェッセンハイムでの原子力発電も含む)が主要なものである。工業と並んで,第3次産業もアルザスの労働力を吸収しているが十分ではなく,毎日なん千人ものアルザス人がドイツやスイスに,フランスの約2倍に近い賃金を求め,越境して働きに出かける。
さて,アルザス地方の人々はドイツ人に似て勤勉である。-10~-15℃といった寒さの厳しい冬の日でも,暗いうちに起き出し,日の出前の街灯のみが照らす道を通勤・通学する。また,アルザスはドイツと隣り合わせていることもあり,フランスの中ではビール醸造業の盛んな所で,地元の生ビール1杯(1/4l)はカフェ・オ・レの値段よりもはるかに安い。フランス領に属してはいても,ドイツの影響を長い間受けていたアルザスでは,人々はつつましい日常生活を送っている。しかし,時候がよくなると,週末にはボージュ山麓の小都市を訪れ,ブドウ酒醸造で中世に栄えた町や村のレストランでフルコースの食事に時間をかけ,年代もののブドウ酒を賞味しながら楽しむことも,忘れてならない事実である。ブドウ酒の質を保証する〈グルメ(鑑定家)〉の看板をながめたり,狭くて曲折し,しばしば行止りの道を歩き回るのも,酔いをさますのにちょうどよい。
以上,長い間国境地域として変動をみてきたアルザスではあるが,ストラスブール河港の活躍にみられるように,今後ライン川沿岸地域の交通の要衝として,アルザスは重要な役割を果たすであろう。アルザスの位置はEUの中心部に近く,景観の多様性,多岐にわたる産業を有するため,フランスの地方の中では最もヨーロッパ的な地方である。
→アルザス・ロレーヌ問題
執筆者:大嶽 幸彦
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フランス北東部、ライン川左岸の地方で、旧州名。ドイツ語ではエルザスElsaßとよぶ。ライン地溝帯の南西部を占め、西はボージュ山脈、東はライン川、南北はスイス、ドイツとの国境に接する。現在も行政地域名として用いられ、バ・ラン県とオー・ラン県の範囲に相当する。面積8280平方キロメートル、人口173万4145(1999)。
[大嶽幸彦]
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