ムシル(読み)むしる(英語表記)Robert Musil

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ムシル」の意味・わかりやすい解説

ムシル
むしる
Robert Musil
(1880―1942)

オーストリアの小説家。軍人志望で幼年学校を経て陸軍工科大学に進む。工学的能力を己に発見してブリュン工科大学で機械工学を専攻し、シュトゥットガルト工科大学の助手となる(1902~03)。世紀末の文芸風潮のなかで創作を始め、処女作『幼年学校生徒テルレスの惑い』に手を染める。ベルリン大学に入学し、哲学、心理学を修め、E・マッハの経験批判論の研究で哲学博士の学位を取得(1908)。以上の学歴からもわかるように、ムシルの志向するところは、厳密で分析的な科学精神と魂との間、数学と神秘の間にある。またその両者の至難な統合にあるといえよう。処女作『幼年学校生徒テルレスの惑い』(1906)は、世界の謎(なぞ)を解こうと願い、数学の計算のなかにも神秘を発見する少年テルレスの知的な欲求が、日常ごく普通の同級生のうちに、魔術的な神秘的傾向と暴力や思春期のゆがんだ性の姿を発見し、少年は惑乱するが、やがて現実世界とその裏にある世界の存在との認識に目覚める状況を描き、少年たちのなかに潜む暴力と性とを仮借のない筆致でえぐり出したものである。

 この作品の成功もあり、教授職につくことをやめて自由文筆業を志し、大苦心のすえに短編集『和合』(1911)を発表するが、反響芳しくないままに第一次世界大戦が勃発(ぼっぱつ)。イタリア戦線に従軍し、熾烈(しれつ)な前線にありながら原体験ともいうべき神秘的な体験を厳密な精神で受け止め、彼の唯一の公的な文筆活動期ともいえる戦後の1920~37年における作品群のうち、『三人の女』(1924)、『生前の遺稿集』(1935)でこの体験が語られている。

 第二次大戦後、無名と化したムシルの文名を世界的なものにしたのは、畢生(ひっせい)の未完大作特性のない男』の存在である。この作品は発表当時(1930、33)識者の強い関心を集めたが、ナチス・ドイツのウィーン侵入後、ムシルはスイスに亡命し、第二次大戦中この地で無名と困窮のうちに、この作品の継続に専念し、死に至るまでやまなかった。

[加藤二郎]

『吉田正己訳『若いテルレスの惑い』(『世界の文学48』所収・1966・中央公論社)』『森田弘訳『ぼくの遺稿集』(1969・晶文社)』『川村二郎訳『三人の女』(1971・河出書房新社)』『W・ベルグハーン著、田島範男他訳『ムジール』(1974・理想社)』

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