ムハンマドブンアルカーシム(その他表記)Muḥammad b.al-Qāsim

改訂新版 世界大百科事典 の解説

ムハンマド・ブン・アルカーシム
Muḥammad b.al-Qāsim
生没年:693ころ-716ころ

ウマイヤ朝時代の将軍で,北西インドシンド)の征服者。710年,イラク総督ハッジャージュ・ブン・ユースフの命により,マクラーン地方からインダス河口地域に遠征し,ダイブールを攻略した。同市を基地としてインダス川を北上し,713年,パンジャーブ地方の聖地ムルターンを攻略したが,ハッジャージュ・ブン・ユースフの死によってその任を解かれ,イラクに護送されて獄死した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ムハンマド・ブン・アルカーシム
むはんまどぶんあるかーしむ
Muammad bn al-Qāsim
(693ころ―716ころ)

ウマイヤ朝の部将の1人で、西北インド(シンド)地方の征服者。カリフのワリード1世のイラク総督で従兄弟(いとこ)のハッジャージュに若くして抜擢(ばってき)され、彼の命で710年、シリア兵6000人を率いてシーラーズを出発し、マクラーン地方を征服しつつインドに向かった。インダス川のデルタに到達し、711年、数か月に及ぶ包囲攻撃後、仏都ダイブールを攻略。当市を根拠地としてインダス川を北上し、713年、パンジャーブ地方の要衝ムルターンを征服。しかし、ハッジャージュの急死後、ハッジャージュに敵対していた新カリフ、スレイマンに任を解かれ、イラクのワーシトで死んだ。

花田宇秋]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 の解説

ムハンマド・ブン・アルカーシム
Muḥammad b. al-Qāsim

693~716

アラブの武将。712年ウマイヤ朝の軍を率いてインドのシンド地方に侵入し,その地を征服した。713年には北上してムルターンを占領した。その征服は,ムスリムによる最初のインド征服であったが,カリフ政権の内紛のため後援が続かず,それはインド史における一つエピソードとして終わった。

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世界大百科事典(旧版)内のムハンマドブンアルカーシムの言及

【ウマイヤ朝】より

…東方では706年,クタイバ・ブン・ムスリムが中央アジアを征服してフェルガナに達した。またムハンマド・ブン・アルカーシムは西北インド(シンド)を征略した(712‐713)。北アフリカ征服は,670年ウクバ・ブン・ナーフィーのカイラワーン建設により本格化し,711年ターリク・ブン・ジヤードが,712年ムーサーがイベリア半島に上陸し,その大部分を制圧した。…

※「ムハンマドブンアルカーシム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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