スレイマン(読み)すれいまん(その他表記)Süleyman Ⅰ

精選版 日本国語大辞典 「スレイマン」の意味・読み・例文・類語

スレイマン

  1. ( Süleyman ) 一世。オスマントルコ帝国第一〇代スルタン(在位一五二〇‐六六)。セリム一世の子。数度の遠征アジアヨーロッパ北アフリカにまたがる領土を保有、帝国の黄金時代を築いた。シュレーマン。(一四九四‐一五六六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「スレイマン」の意味・わかりやすい解説

スレイマン(1世)
すれいまん
Süleyman Ⅰ
(1494―1566)

オスマン・トルコ帝国第10代スルタン(在位1520~66)。トルコでは「立法者」(カヌーニ)、ヨーロッパでは「壮麗者」(マグニフィセント)と称せられる最大のスルタン。セリム1世の子。アジア、ヨーロッパ、北アフリカ沿岸部にまたがる大版図を支配し、内政面では整備された能率的な行政管理制度を樹立した。対外的にはヨーロッパに10回、アジアに3回遠征を試みた。対ヨーロッパ政策の基調は、神聖ローマ帝国のカール5世がヨーロッパで指導権を握ろうとする計画を挫折(ざせつ)させる一方、フランスフランソア1世を支持して、これと同盟関係を結んでヨーロッパの政局均衡をつくりだし、発言力を強化することにあった。また伝統的な権威を保持しようとするローマ教皇に対抗するため、新しく勃興(ぼっこう)したプロテスタントの宗教改革運動に対する側面的支持者となった。父帝セリム1世のシリア・エジプト攻略の後を受けて、ヨーロッパへの攻勢を展開し、ベオグラードハンガリーから奪い(1521)、ドナウ川北西進してブダを取得し(1526)、進んでウィーン包囲を敢行した(1529)。一方、エーゲ海の入口にあるロードス島をカトリック系セント・ヨハネ騎士団から奪った(1522)。東方ではイランのサファビー朝からイラク地域を取得し、バグダードとバスラを入手(1533)、中央アジア方面に対してはサマルカンド、ブハラ、ヒバなどを拠点とし、旧ティームール帝国の故地を領有するウズベク人のシャイバーニー朝を支持して、この方面に勢力を扶植した。一方、ペルシア湾、アラビア海、インド洋などの水域では、世界周航国として活動を開始したポルトガルに強力な海軍をもって対抗し、インド西岸のグジャラートを支援するなど多角的な活動を行った。トランシルバニアの帰属問題をめぐって神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世と対立し、出陣中、ハンガリーのシゲトバルで陣没した(1566)。イスタンブールのスレイマン・モスクの廟内に墳墓がある。

[三橋冨治男]

『三橋冨治男著『スレイマン大帝』(1971・清水書院)』

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百科事典マイペディア 「スレイマン」の意味・わかりやすい解説

スレイマン[1世]【スレイマン】

オスマン帝国第10代のスルタン。父セリム1世の跡を継ぎ1520年即位。46年間の治世は帝国の最盛期であった。内政面では封建制度・教育制度・法制を確立し,正規軍を増強し,文運の隆盛を招いた。外交面では,1521年のベオグラード,1522年のロードス島攻略に始まる13回の遠征を行い,とくに1529年のウィーン包囲はヨーロッパ世界を震撼させた。16世紀中期のヨーロッパ政局に大きな発言力をもった。
→関連項目フェルディナント[1世]

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旺文社世界史事典 三訂版 「スレイマン」の解説

スレイマン(1世)
SuleimanⅠ

1494〜1566
オスマン帝国第10代のスルタン(在位1520〜66)
外には13回の大遠征を行って中・西欧のキリスト教国と抗争し,一時はウィーンを包囲,フランスと政治同盟を締結。内には法制・軍制・教育制度を整え,学芸を奨励するなど,帝国の黄金時代を築いた。

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