ムルシア(読み)むるしあ(その他表記)Murcia

デジタル大辞泉 「ムルシア」の意味・読み・例文・類語

ムルシア(Murcia)

スペイン南東部にある都市。同名の自治州の州都。セグラ川沿いの平野の中央部に位置する。9世紀の後ウマイヤ朝アブド=アッラフマーン2世の治下、絹織物業で繁栄し、セグラ川を利用した灌漑水路が整備された。現在もレモンをはじめとする柑橘類・穀物・野菜の生産が盛ん。旧市街にあるサンタマリア大聖堂は14世紀にカタルーニャゴシック様式で建てられた後、増改築が繰り返され、特に18世紀に作られた西側のファサードはスペインバロック様式の傑作として知られる。キリスト教の祭礼である聖週間が有名で、数多くの観光客が訪れる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ムルシア」の意味・わかりやすい解説

ムルシア
むるしあ
Murcia

スペイン南東部、ムルシア地方の中心都市で、ムルシア県の県都。人口37万0745(2001)。南東流するセグラ川が下流で北東に向きを変える付近の谷底平野の中央部に位置する。谷底平野は最大幅8.5キロメートルと広いが、多数の灌漑(かんがい)水路が設けられた沃野(よくや)で、レモンを主とする柑橘(かんきつ)類、その他の果物、穀物、ジャガイモ、野菜、綿などが栽培され、ムルシアはその集散地となっている。とくにレモン、アンズはムルシア県で全国の4割を生産する。また、養蚕が古くから行われ、イスラム時代には絹織物工業で繁栄した。南西5キロメートルのラ・アルベルガに生糸研究所がある。現在は、繊維工業のほかに缶詰、製紙、木工などの工場が都市部に立地する。旧市街は左岸にあるが、新市街は対岸および鉄道・道路沿いに広がっている。ムルシア大学(1915創立)があり、また司教の所在地で司教宮殿がある。サンタ・マリア大聖堂は14世紀に起源をもち、その西ファサード(正面)は18世紀バロック様式の代表例。

 ムルシア地方はスペインに残る歴史的地方名の一つで、現在は自治州を構成し、その面積は1万1317平方キロメートル、人口156万2481(2001)。ムルシア県と、その北隣の内陸山地地域を占めるアルバセテ県の2県からなり、バレンシア地方とあわせた広義のレバンテ地方の南部にあたる。地中海性気候で乾燥が激しく、おもな植生はステップで、山地斜面にはマスカット種のブドウ、アーモンドイチジクなどが作付けされ、川沿いの平野に果樹、野菜などの灌漑畑が分布する。

[田辺 裕・滝沢由美子]

歴史

沿岸地域はフェニキア人が初めに植民し、鉱山資源が利用され、港湾としてカルタゴ・ノバ(現在のカルタヘナ)が建設された。紀元前3世紀、ポエニ戦争によってローマに征服されたが、その後バンダル、ビザンティン帝国、西ゴートの侵入を受け、8世紀にイスラム教徒の支配下に入った。当初、コルドバ・カリフ領に属していたが、それが崩壊するとアルメリア、バレンシアの大守領に含められたのち、11、12世紀に独立したムルシア王国が形成された。13世紀初頭にアルモアド人に一時支配されたが、イスラム人支配の時期に優れた灌漑施設によってスペイン有数の農業地帯として繁栄した。13世紀中葉、アラゴン王国ハイメ1世が占領してイスラム支配を終焉(しゅうえん)させ、農民は比較的豊かであったが一部では大土地所有制が発達した。19世紀初頭のフランス軍侵入によって略奪され、20世紀のスペイン内戦(1936~39)では最後まで共和国政府支配地域に残った。

[深澤安博]

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改訂新版 世界大百科事典 「ムルシア」の意味・わかりやすい解説

ムルシア
Murcia

スペイン南東部の地方。同名県および同名の県都がある。ムルシア,アルバセテ両県からなるムルシア地方(人口133万5792。2005)は,地形上,地中海沿岸部のカルタヘナの平野,セグラ川流域の広大なムルシアの沃野,内陸高山帯のアルバセテに分けられる。地中海式気候に恵まれ,自然と人間が融合したスペインで最も豊かな農村地帯で,その沃野全域が果樹菜園huertaであり,また豆類,トマト,ピーマン,オレンジ,レモンなどを産出する。行政上の中心はセグラ河岸のムルシア(人口35万3943。2001)で司教座と大学がある。都市経済は農産物の取引と絹織物工業に基づく。近代的重化学工業はカルタヘナに集中している。ムルシア地方の原形は,西ゴート王国のアウラリオラ県(今日のアリカンテ県オリウエラからムルシア平野一帯)である。イスラム勢力がイベリア半島に侵入すると,ムルシアを領有していた西ゴート貴族テオドミーロは,イスラム教徒の保護下で独立を維持した(713-743)。743年以後ムルシアはイスラム教徒の支配下に置かれた。アブド・アッラフマーン2世は825年ムルシアの町を建設した。ムルシアは後ウマイヤ朝(カリフ朝王国)下で農業と絹織物工業によって繁栄する。後ウマイヤ朝王国が分裂する11世紀,イスラム小侯国の一つとしてムルシア王国が現れたが,たびたび周辺の侯国の支配を許した。再征服を推進するフェルナンド3世は1243年ムルシア王国をカスティリャの保護領にした。64年にムルシア地方のムデーハル(残留イスラム教徒)はカスティリャの支配に対し蜂起したが,アラゴン王国のハイメ1世が鎮定し,66年ムルシアは最終的にカスティリャに吸収された。91年司教座がカルタヘナからムルシアに移されて以降,今日に至るまで,ムルシアは同地方の政治,宗教の中心地となる。1873年の連邦主義運動はムルシア地方にも広がり,カルタヘナはその拠点となる。スペイン内乱では,共和主義派が根強く,1939年3月末までナショナリストに抵抗した。
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百科事典マイペディア 「ムルシア」の意味・わかりやすい解説

ムルシア

スペイン南東部の地方で,ムルシア,アルバセテ両県からなるが,行政的にはムルシア1県が1自治州を形成,アルバセテはカスティリャ・ラ・マンチャ自治州に入る。前者の州都はムルシア。セグラ川流域の平野で,穀類,ジャガイモ,ブドウ,オレンジなどが栽培される。鉄鉱,銅,鉛,亜鉛なども産する。古代カルタゴ,ローマの重要な植民地で,8世紀にはイスラム勢力の支配下に入った。11世紀にイスラム教徒のムルシア王国が成立し,13世紀半ばカスティリャに占領された。スペイン内乱では共和国派が優勢。

ムルシア(都市)【ムルシア】

スペイン南東部,ムルシア自治州の州都。セグラ川に臨み,鉄道の中心で,農産物の集散地。繊維・食品加工・皮革工業が行われる。14世紀のゴシック式大聖堂,大学(1915年創立)がある。古代ローマの植民地で,11世紀にイスラム教徒のムルシア王国の首都となり,13世紀半ばカスティリャに占領された。43万7667人(2011)。
→関連項目ムルシア

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ムルシア」の意味・わかりやすい解説

ムルシア
Murcia

スペイン南東部,ムルシア州,ムルシア県の県都。セグラ川流域のウエルタと呼ばれる肥沃な灌漑耕地に位置する。ローマに支配される以前から集落があったが,史料に現れるのはイスラム時代で,825年ウマイヤ朝のラフマーン2世によって建設されたといわれる。交易の中心地で,ウエルタで生産される農作物の集散地。イスラム時代に始った絹織物工業のほか,羊毛,麻,硝石,製粉,皮革,アルミニウム,家具などの工業がある。 14世紀創建のバロック様式の大聖堂 (18世紀再建) がある。人口 31万 8838 (1991推計) 。

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