ムルシア(読み)むるしあ(英語表記)Murcia

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ムルシア」の意味・わかりやすい解説

ムルシア
むるしあ
Murcia

スペイン南東部、ムルシア地方の中心都市で、ムルシア県の県都。人口37万0745(2001)。南東流するセグラ川が下流で北東に向きを変える付近の谷底平野の中央部に位置する。谷底平野は最大幅8.5キロメートルと広いが、多数の灌漑(かんがい)水路が設けられた沃野(よくや)で、レモンを主とする柑橘(かんきつ)類、その他の果物、穀物、ジャガイモ、野菜、綿などが栽培され、ムルシアはその集散地となっている。とくにレモン、アンズはムルシア県で全国の4割を生産する。また、養蚕が古くから行われ、イスラム時代には絹織物工業で繁栄した。南西5キロメートルのラ・アルベルガに生糸研究所がある。現在は、繊維工業のほかに缶詰、製紙、木工などの工場が都市部に立地する。旧市街は左岸にあるが、新市街は対岸および鉄道・道路沿いに広がっている。ムルシア大学(1915創立)があり、また司教の所在地で司教宮殿がある。サンタ・マリア大聖堂は14世紀に起源をもち、その西ファサード(正面)は18世紀バロック様式の代表例。

 ムルシア地方はスペインに残る歴史的地方名の一つで、現在は自治州を構成し、その面積は1万1317平方キロメートル、人口156万2481(2001)。ムルシア県と、その北隣の内陸山地地域を占めるアルバセテ県の2県からなり、バレンシア地方とあわせた広義のレバンテ地方の南部にあたる。地中海性気候で乾燥が激しく、おもな植生はステップで、山地斜面にはマスカット種のブドウ、アーモンドイチジクなどが作付けされ、川沿いの平野に果樹、野菜などの灌漑畑が分布する。

[田辺 裕・滝沢由美子]

歴史

沿岸地域はフェニキア人が初めに植民し、鉱山資源が利用され、港湾としてカルタゴ・ノバ(現在のカルタヘナ)が建設された。紀元前3世紀、ポエニ戦争によってローマに征服されたが、その後バンダル、ビザンティン帝国、西ゴートの侵入を受け、8世紀にイスラム教徒の支配下に入った。当初、コルドバ・カリフ領に属していたが、それが崩壊するとアルメリア、バレンシアの大守領に含められたのち、11、12世紀に独立したムルシア王国が形成された。13世紀初頭にアルモアド人に一時支配されたが、イスラム人支配の時期に優れた灌漑施設によってスペイン有数の農業地帯として繁栄した。13世紀中葉、アラゴン王国のハイメ1世が占領してイスラム支配を終焉(しゅうえん)させ、農民は比較的豊かであったが一部では大土地所有制が発達した。19世紀初頭のフランス軍侵入によって略奪され、20世紀のスペイン内戦(1936~39)では最後まで共和国政府支配地域に残った。

[深澤安博]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ムルシア」の意味・わかりやすい解説

ムルシア
Murcia

スペイン南東部,ムルシア州,ムルシア県の県都。セグラ川流域のウエルタと呼ばれる肥沃な灌漑耕地に位置する。ローマに支配される以前から集落があったが,史料に現れるのはイスラム時代で,825年ウマイヤ朝のラフマーン2世によって建設されたといわれる。交易の中心地で,ウエルタで生産される農作物の集散地。イスラム時代に始った絹織物工業のほか,羊毛,麻,硝石,製粉,皮革,アルミニウム,家具などの工業がある。 14世紀創建のバロック様式の大聖堂 (18世紀再建) がある。人口 31万 8838 (1991推計) 。

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