デジタル大辞泉 「ノートルダム大聖堂」の意味・読み・例文・類語
ノートルダム‐だいせいどう〔‐ダイセイダウ〕【ノートルダム大聖堂】
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パリのシテ島にある司教座教会。フランス・ゴシック建築のなかでは西正面が最も調和を見せている,初期ゴシック建築の壮大な作例である。矩形の双塔や,双塔の線に沿って正面を3部分に分割するバットレス(扶壁)の垂直線と,〈王のギャラリー〉の水平線とが,ばら窓を中心に比類ない均衡と調和を保っている。
現在の建物は,5世紀,6世紀(または7世紀初頭)の建造に続く第3番目のものである。12世紀中ごろ,内陣から建造が始まり,1182年に完成。身廊部は1180-1200年に,西正面は1200年ごろから50年に完成された。内部は中央身廊を中心に5廊式で,アーケード,トリビューン(階上廊),高窓と3層構成をとる(かつては4層構成であった)。しかし,側廊の上にあるトリビューンの存在が採光の妨げになり,内部は暗い。高さ35mに達する天井は,なお6分リブ・ボールトで,初期ゴシック建築の特徴をとどめる。直径12.9mのばら窓を持つ南北袖廊(トランセプト)は,13世紀中ごろ建築家ジャン・ド・シェルJean de Chellesとピエール・ド・モントローPierre de Montreauによって増築された。南北ばら窓や西正面ばら窓(直径9.6m,1215-20)は,多くの修復を蒙ったものの,今なお当時の輝きを放っている。フランス革命により,外壁を飾っていた多くの彫刻は破壊された。西正面の〈王のギャラリー〉の28体の彫像,三つの扉口側壁に立つ彫像などは,19世紀の修復になる。しかし,右側扉口タンパンの〈聖母子〉(1165-70ころ),左側扉口タンパンの〈聖母戴冠〉(1210-20ころ),中央扉口タンパンの〈最後の審判〉(1220-30ころ)は,いずれも当時の姿を伝えており,ここでアルカイックな初期ゴシック彫刻から典雅な盛期ゴシック彫刻へと向かう発展を跡づけることができる。また,北側の〈赤い扉口〉中央柱に立つ〈聖母像〉(1250ころ),内陣周囲を飾る極彩色のほどこされた〈キリスト伝〉(14世紀)の浮彫群も見のがせない細部である。
執筆者:馬杉 宗夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
パリのシテ島に建つ聖母(ノートル・ダム)に捧(ささ)げられた大聖堂。パリの最初のカテドラル(司教座をもった聖堂)は5世紀のサンテティエンヌ聖堂で、7世紀初頭には同じ場所に聖母に捧げられた聖堂が建った。現在の大聖堂は1163年に司教モーリス・ド・シュリの指揮のもとに新たにゴシック様式で着工されたものである。内陣部は1182年に仕上がって献堂式が行われ、身廊と翼廊部は1200年までに、翼廊部の拡張工事と西正面玄関の外壁面は1250年までに完成した。14世紀初頭には内陣部の諸祭堂が完成して、堂内奥行が130メートルの壮大な五廊式聖堂となった。身廊部は幅が12メートル、天井の高さは35メートルで、両側壁面は列柱を経てトリフォリウム、高窓の均衡のとれた美しい三層構成となっている。また正面玄関の幅は41メートル、左右の塔の高さは63メートルである。17世紀末には内部の改造が、1771年には西正面外壁の改築が行われ、フランス革命期の1793年にはとくに外壁を飾る彫刻群が大破壊を受けた。19世紀にラシュスやビオレ・ル・デュクおよび彫刻家ジョッフロア・デショームによる大修復がなされて今日に至っている。
西正面玄関部の彫刻は、3個の扉口上部のタンパン(半月形壁面)の浮彫りだけがオリジナルで、扉口左右にせり出した人像柱(スタテュ・コロンヌ)は19世紀の修復による。中央扉口のタンパンは「最後の審判」を表し、左右のタンパンはそれぞれ聖母および聖母の母である聖アンナに捧げられている。扉口上部の「王のギャラリー」の28体の『旧約聖書』の王たちの彫像も19世紀の復原によるが、フランス革命期に破壊された彫像の断片が1977年に発見された。南翼廊部の扉口は聖エティエンヌ(ステパノ)に捧げられ、北翼廊部の扉口は「回廊の門」とよばれて、それぞれ13世紀中ごろのタンパン浮彫りをもつが、北の扉口にはフランス革命の破壊を免れた唯一の彫像の「聖母子像」がみられる。13世紀に制作されたステンド・グラスのうち、今日残るのは西正面のバラ窓(直径9.60メートル)、南北翼廊の2個のバラ窓(直径13メートル)を飾るステンド・グラスだけである。さらに北翼廊のバラ窓はほぼ完璧(かんぺき)な保存状態にあるが、ほかは19世紀の大幅な修復を受けている。なお、この大聖堂のあるパリのセーヌ川の河岸は1991年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[名取四郎]
(大迫秀樹 フリー編集者/2019年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
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「サンリス大聖堂」のページをご覧ください。
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…火山性盆地内に浸食に耐えた岩山がいくつか残り,おのおのの頂を教会堂や聖母像が占めて独特の景観を呈する。ノートル・ダム大聖堂は市心の丘の上の旧ローマ神殿跡に位置し,11~12世紀にロマネスク様式で再建されたもの。大革命時に焼失した〈黒い聖母〉像は,中世を通じて外国からも巡礼をひきつけ,ル・ピュイは,サンチアゴ・デ・コンポステラへの重要な宿駅として栄えた。…
…中世にはパリ王領地帯の一部として栄える。1153年に起工されたノートル・ダム大聖堂はゴシック美術発展史上重要な位置を占める。特に聖母崇拝の高まりを象徴する,西正面扉口タンパンに表現された〈聖母戴冠〉の主題は,現存する最古の扉口彫刻であり,13世紀のシャルトル,パリのノートル・ダム,アミアン,ランスなどの大聖堂に影響を与えた。…
…12世紀末からフランス王と結びついてコミューンを発展させ,重要な中世都市となる。【森本 芳樹】
[美術]
ノートル・ダム大聖堂(12~13世紀)は,ベルギーで最も壮麗な建築で,スヘルデ川流域の教会堂建築に大きな影響を与えた。ノルマンディーやライン地方の影響下に,身廊(1110‐41)はロマネスク様式において初めて4層立面構成を達成し,巨大な翼廊(1145‐71)は南北両端が半円形プランをなす。…
…エコール・デ・ボザール(国立美術学校)を忌避して独学で建築を学び,文化財保護技監であったP.メリメに認められてベズレーのラ・マドレーヌ教会の修理に当たった。ついで老練の建築家ラッシュスJean‐Baptiste Lassusとともに,1845年よりパリのノートル・ダム大聖堂の修復工事を担当してその地位を固めた。その後,文化財保護委員会委員,宗務省の建築技監として活躍し,シャルトル,ランス,アミアンなどの大聖堂やカルカソンヌ市の城壁,ピエールフォン城(ナポレオン3世の命による)などの修復に当たった。…
…それに対して,イタリア人たちは,建物をさまざまの装飾モティーフや彫像,浮彫などで飾りたてるところに,芸術の本来のあり方を見ていたのである。 事実,たとえばパリのノートル・ダム大聖堂とミラノ大聖堂を比較してみると,同じゴシック建築でありながら,その表現は大きく異なっている。たしかに,パリの大聖堂においても,たとえば西正面を見れば,大ばら窓をはじめ,〈王のギャラリー〉に並べられた彫像群,三つの入口のティンパヌムや左右の彫像柱,さらには腰壁の部分の浮彫など,さまざまの装飾的要素を指摘することができる。…
※「ノートルダム大聖堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」