メイヤー(読み)めいやー(英語表記)Leonard Bunce Meyer

日本大百科全書(ニッポニカ) 「メイヤー」の意味・わかりやすい解説

メイヤー(Leonard Bunce Meyer)
めいやー
Leonard Bunce Meyer
(1918―2007)

アメリカの音楽学者。ニューヨーク生まれ。コロンビア大学に学び、1954年にシカゴ大学で学位を獲得。また、1946年から同大学で教職につき、1961~1975年まで教授、1975~1987年ペンシルベニア大学教授を務め、1988年より同大学名誉教授となる。最初の著作『音楽における情動と意味』Emotion and Meaning in Music(1956)のなかで展開された、音楽体験のなかで慣習からの逸脱が生じ、期待が充足されなかったときに情動が体験されるとする心理学的理論で知られる。また、情報理論を導入して現代音楽の様式分類やその転換メカニズムなどの諸問題を論じた『音楽・芸術・思想Music, the Arts, and Ideas(1967)も優れた業績である。1999年には1974年以降の論文をまとめた評論集『音楽の領域The Spheres of Musicを出版。ほか共著に『The Rhythmic Structure of Music』(1960。邦訳『音楽のリズム構造』)がある。

渡辺 裕]

『L・B・マイヤー、G・W・クーパー著、徳丸吉彦・北川純子訳『音楽のリズム構造』新訳(2001・音楽之友社)』『Emotion and Meaning in Music Paperback ed.(1988)』『Music, the Arts, and Ideas;Patterns and Predictions in Twentieth-Century Culture Paperback 2nd ed.(1992)』『The Spheres of Music;A Gathering of Essays(1999, all published by University of Chicago Press)』


メイヤー(Maria Goeppert Mayer)
めいやー
Maria Goeppert Mayer
(1906―1972)

アメリカの物理学者原子核殻模型提唱で知られる。ドイツのカトウィッツ(現、ポーランドのカトビーツェ)に生まれる。1924年ゲッティンゲン大学入学、量子力学の形成期にM・ボルンの指導を受ける。アメリカの物理学者メイヤーJ. E. Mayer(1904―1983)と結婚してアメリカに渡り、1933年帰化した。1946年シカゴ大学教授、1960年カリフォルニア大学教授。第二次世界大戦前は物理化学に多くの業績がある。第二次世界大戦中に原子爆弾開発のマンハッタン計画に参加。1948年安定な原子核を特徴づける「魔法の数」の研究に着手し、1949年スピン‐軌道相互作用に基づく原子核の殻模型を提出した。これにより1963年ノーベル物理学賞を受賞した。別に同様の研究をしていたJ・H・D・イェンゼンも同時受賞した。

[常盤野和男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メイヤー」の意味・わかりやすい解説

メイヤー
Mayer, Louis B(urt)

[生]1885.7.4. ミンスク(現ベラルーシ,ミンスク)
[没]1957.10.29. アメリカ合衆国,カリフォルニア,ロサンゼルス
ロシア出身のアメリカ合衆国の映画企業家,制作者。本名 Eliezer Mayer。ロシア移民を両親にもち,14歳の頃から父親のもとで船舶引き揚げや鉄くず処理の仕事に従事する。1907年マサチューセッツ州ヘーバリルに映画館を開館,1918年までにニューイングランド最大の映画館チェーンをつくり上げた。同年,ハリウッドに進出し,ルイス・B・メイヤー・ピクチャーズ・アンド・メトロ・ピクチャーズを設立,6年後にサミュエル・ゴールドウィンのゴールドウィン・ピクチャーズと合併してメトロ=ゴールドウィン=メイヤー MGMを結成した。1920~30年代のハリウッドにおいてスター・システムを構築し,グレタ・ガルボ,ジョーン・クローフォード,ルドルフ・バレンチノ,クラーク・ゲーブルらを輩出した。代表作に『グランド・ホテル』Grand Hotel(1932)など。

メイヤー
Meir, Golda

[生]1898.5.3. キエフ
[没]1978.12.8. テルアビブヤフォ
イスラエルの女性政治家。旧姓 Goldie Mabovitch。 1906年家族とアメリカのミルウォーキーに移住。同地の師範学校を卒業後,小学校の教師をつとめ,ミルウォーキー・シオニスト労働党の指導者の一人となった。 21年夫の M.メイヤーソンとともにパレスチナに移住。 28年婦人労働評議会書記,34年以降イスラエル労働総同盟の執行委員をつとめた。 46年ユダヤ機関の政治局長に就任。 48年5月イスラエル建国に伴い,初代ソ連駐在大使に就任。 49年国会議員に選出され,労働相となった。 56年外相に任命されると,姓をヘブライ語化して改名。 66年外相を辞任後マパイ党書記長となり,L.エシュコル首相を補佐。 69年エシュコル首相の死に伴い首相に就任。 74年4月,前年の十月戦争の準備不足の責任を追及されて辞表を提出,受理され,6月首相の座を降りた。

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