ミンスク(読み)みんすく(英語表記)Минск/Minsk

デジタル大辞泉 「ミンスク」の意味・読み・例文・類語

ミンスク(Minsk/Мінск)

ベラルーシ共和国の首都。モスクワワルシャワとを結ぶ交通の要衝に位置する。12世紀以来ミンスク公国の首都として繁栄。自動車などの工業が盛ん。人口、行政区181万(2008)。

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精選版 日本国語大辞典 「ミンスク」の意味・読み・例文・類語

ミンスク

  1. ( Minsk ) ベラルーシ共和国の首都。古くから黒海バルト海を結ぶ通商の中継地として繁栄。一二世紀ミンスク公国の首都、のち一七九三年ロシア帝国領となるが、ソ連邦成立後、白ロシア社会主義共和国(現ベラルーシ)の首都となる。

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改訂新版 世界大百科事典 「ミンスク」の意味・わかりやすい解説

ミンスク
Minsk

ベラルーシ共和国中央部,同共和国の首都。同名州の州都でもある。人口176万5773(2004)。共和国のほぼ中央に位置するミンスク丘陵南面にあり,ベレジナ川支流のスビスロチ川に臨む。モスクワから西へ約750km,東ヨーロッパに抜ける幹線鉄道および道路が通り,共和国の政治・経済・文化の中心である。第2次世界大戦による荒廃の後,ソ連邦政府によって集中的投資がなされ,急速に復興した。現在では緑の中に高層建築がたち並び,直線的道路が縦横に走る近代的都市の外観を呈している。機械工業,金属加工業,軽工業,食品工業,化学工業,建築資材工業などが盛んである。特に自動車工業は有名で,旧ソ連でトラクターと大型トラックの6台に1台を製造していたほどで,ともに共和国の重要な輸出品である。各種の大学,研究機関,共和国科学アカデミー,中央図書館,各種の博物館なども集中している。

市名が史料の上で確認されるのは1067年のポロツク公国とキエフ大公国(キエフ・ロシア)との戦いに関連してであるが,町の発祥はさらに古く,黒海とバルト海を結ぶ通商路の中継基地としてであったと考えられている。ミンスクの名も交易するという意味の〈メニャーチmenyat'〉に由来するといわれる。1101年ミンスク公国の首都となるが,14世紀にはリトアニア大公国下に入った。1569年のリトアニアとポーランドの合同でポーランド領となり,その第2次ポーランド分割(1793)によってロシア領となった。14世紀から18世紀末まではいまだ地方の中規模都市にすぎなかったが,ロシア領となって地域一帯の政治的・経済的中心都市として位置づけられ,急速に発展した。19世紀半ば以降ユダヤ人の居住が認められた数少ない町の一つであった。モスクワへ至る交通の要地にあるため,18世紀の北方戦争,19世紀のナポレオン戦争などでたびたび戦火をあびた。第2次世界大戦でもこの悲劇は繰り返された。現在の市は廃墟の中から,戦前の2倍に拡大され,復興されたものである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミンスク」の意味・わかりやすい解説

ミンスク
みんすく
Минск/Minsk

ベラルーシ(白ロシア)共和国の首都。ポーランドとの国境付近に源流をもつベレジナ川の支流に臨む。人口171万9000(1998)、198万2444(2018推計)。同共和国の工業、商業、学術、文化の中心都市である。ワルシャワからモスクワに至る交通路上の最大の都市で、古来、「バリャーグ(ノルウェー)からギリシアへの道」といわれる南北の商業ルート上の重要な交易都市でもある。ベラルーシ科学アカデミー、大学などの研究教育機関、博物館、美術館、劇場など、文化施設が多く、バロック様式の教会や修道院もみられる。ドイツ占領下の第二次世界大戦中には市街の74%が破壊され、建造物は戦後再建されたものが多く、住宅団地や工業地区も都市計画に従って設けられた。工業製品は各種トラクター、ラジオ・テレビ、時計・カメラ、自動車(ディーゼル・トラック、ダンプカートレーラー、木材運搬車)、工作機械などで、ミンスク自動車工場とミンスク・トラクター工場は最大企業である。軽工業は工業生産の22%を占め、毛織物、皮革、食肉、醸造などの工業が都市向け消費を指向して立地している。

山本 茂]

歴史

町の名が年代記に初めて現れるのは1067年のことである。このころはポーロツク公国の一要塞(ようさい)であった。12世紀初めミンスク公国の首都となるが、14世紀初頭にはリトアニア大公国の版図に入った。1499年マクデブルク都市法が導入されて都市としての発展に拍車がかかった。16世紀後半には二つの定期市が開催されるなど、ベロルシアならびに近隣諸国の都市との間に活発な交易が行われた。しかし17世紀中葉のロシア・ポーランド戦争、18世紀初頭の大北方戦争などにより、市は何度も破壊された。第二次ポーランド分割(1793)後ロシア領に併合され、ミンスク県の県庁所在地となった。その後、ベラルーシの商工業、交通の中心地として発展を続けるが、20世紀に入ってドイツ軍(1918)、ポーランド軍(1919)、ナチス・ドイツ軍(1941~1944)の占領を受けるなど、その歩みはかならずしも順調ではなかった。

[栗生沢猛夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミンスク」の意味・わかりやすい解説

ミンスク
Minsk

ベラルーシの首都。またミンスク州の州都。同国のほぼ中央にあり,ベレジナ川支流スビスロチ川に臨む。 1067年の年代記に記されるロシアの古都の一つで,1101年ミンスク公国の首都となった。 14世紀リトアニア領,のちポーランド領に入ったが,1793年の第2回ポーランド分割でロシア領となった。その後行政中心地として,また,1870年代モスクワ-ワルシャワ間とリエパヤ-ロムヌイ間の鉄道路線の交差点となってのち,工業中心地として発展し始めた。 1919年白ロシア共和国成立とともにその首都となった。第2次世界大戦後,ソビエト連邦の西部国境が西へ移動して白ロシアの領土が拡大し,また東ヨーロッパ諸国がソ連圏に入ったことから,ミンスクの地理的位置の有利さが顕著になり,市の工業発展を促した。 1991年ベラルーシの独立とともにその首都となる。機械工業,金属加工業の発達が著しく,特に大型ダンプカー,トラクタ,モーターバイク,ボールベアリング,モータ,テレビなどの製造工業が盛んである。また繊維,縫製,食品 (乳製品,食肉,ワイン) ,皮革,印刷,医薬品,建設資材などの工業も立地している。ベラルーシの教育・文化中心地でもあり,多くの大学,ベラルーシ科学アカデミー,国立オペラ・バレエ劇場,博物館などの施設がある。市街は 1505年クリミアのタタール人に,1812年フランス軍に,1919~20年ポーランド軍に,さらに 1944年ドイツ軍に破壊されたが復興し,急速な人口増により市街地が拡大しつつある。鉄道,ハイウェーの要地で,空港もある。人口 186万4090(2011)。

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百科事典マイペディア 「ミンスク」の意味・わかりやすい解説

ミンスク

ベラルーシの首都。ベラルーシ名はメンスクMensk。スビスロチ川(ドニエプル川支流)に面する。自動車,トラクター,工作機械,ボールベアリング,織物,皮革などの工業が行われる。同国の政治,経済,文化の中心。古代ルーシの都市として1067年の年代記に名が見える。1793年ロシア領。大学(1921年創立)がある。第2次大戦では廃墟と化したが,旧ソ連邦政府により集中的投資がなされ,急速な復興をとげた。192万1807人(2014)。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ミンスク」の解説

ミンスク
Minsk

ベラルーシ共和国の首都。ロシア帝国時代にユダヤ人の居住が認められた町であった。ロシア社会民主労働党の「第1回大会」がこの町で開かれた。第一次世界大戦中は西部方面軍の司令部が置かれた。独ソ戦ではドイツ軍に占領され,町は破壊された。

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デジタル大辞泉プラス 「ミンスク」の解説

ミンスク

《Minsk》旧ソ連(ロシア)海軍の巡洋艦。キエフ級航空巡洋艦。1978年就役。ソ連海軍太平洋艦隊に所属。1993年に退役後、韓国、ついで中国に転売され、深セン市の軍事テーマパーク「ミンスク・ワールド」の展示の目玉として博物館化された。

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