日本大百科全書(ニッポニカ)「原子核」の解説
原子核
げんしかく
原子の中心に存在する物質で、核子(陽子および中性子)と中間子の雲から成り立っている。核子だけでなく、Λ(ラムダ)粒子やΣ(シグマ)粒子などの重粒子を含む原子核が人工的につくりだされて研究されている。これをハイパー核という。また核子がクォークからできているので、原子核はクォークの多体系として研究されることもある。陽子の数をZ、中性子の数をN、陽子と中性子の数の和をAで表す。Aを質量数という。質量数Aの小さな原子核を軽い核、大きな原子核を重い核とよぶ。
陽子数Zの原子核はZ個の電子とともに中性の原子をつくる。元素の化学的性質は原子内電子によって決まるので、陽子数Zは元素の化学的性質を定める。Zが同じでNの異なる原子核をアイソトープ、Nが同じでZの異なる原子核をアイソトーンという。アイソトープの元素の化学的性質は同じである。元素名Xの原子核をで表す。ZとNを省くことが多い。
,
,
,
を、それぞれ重陽子(ジュウテロン)、三重陽子(トリチウム)、ヘリオン、α(アルファ)粒子とよぶ。4ΣHeというハイパー核は原田融(とおる)(1962― )がその存在を1987年(昭和62)に理論的に予見したが、1998年(平成10)に実験的にその存在が明らかになった。2011年時点で、40個のハイパー核の存在が確認されている。
[田中 一・加藤幾芳]
原子核の発見
1909年、ラザフォード、ガイガーおよびマースデンErnest Marsden(1889―1970)は、金箔(きんぱく)をはじめ種々の金属箔にα粒子を衝突させ、α粒子が入射側に反射する場合があることをみいだした。1911年、ラザフォードはこの現象を分析して、原子の中心に10-13センチメートルの広がりをもつ芯(しん)が存在しなければならないことを示した。これが原子核の発見の端緒であった。長岡半太郎は1904年(明治37)に原子の土星型構造を提起したが、ラザフォードは1911年の論文で長岡の模型が注目すべき模型であることを指摘した。その後1932年にイワネンコとハイゼンベルクは、原子核が中性子と陽子とからなっていることを提言した。
[田中 一]
核種
ZとNで定まる原子核をもつ原子を核種という。しかし原子核をさして核種ということが多い。核種のなかには、安定なものと、不安定で他の核種に変化していくものとがある。安定な核種は約300であり、2010年までにみいだされた核種の数は2975である。不安定核には当然、寿命(存在時間)がある。原子核が存在するとみなすためにはその寿命に最小値がある。その値は原子核の核子の量子振動の周期よりも相当程度大きな値でなければならないであろう。その目安として10-21秒をとれば、この条件を満たす中性子と陽子の系の数は現在みいだされている核種の数をはるかに超える数となる。ウランの原子核はZが92で、天然にみいだされる原子核中Zがもっとも大きい。Zが92を超える原子核を超ウラン元素といい、2011年時点で118まで人工的につくりだされたと報告されているが、確認されたものは112までである。2004年(平成16)、理化学研究所の森田浩介(1957― )らがZ=113の元素を合成したと発表し、その確認が待たれている。大きな質量数をもつ核種が存在するか否かは興味ある問題である。中性子星は超巨大原子核ともみなすことができるが、ここでは重力が大きな役割を演じている。安定な核種のNとZの比はAが40程度まで等しいが、ウラン近傍では1.6くらいになる。
質量数Aが同じでも、安定な核種より中性子または陽子が過剰な原子核は、電子と反中性微子、あるいは陽電子(反電子)と中性微子を放出して安定な核種に移る。これらの現象をβ崩壊(ベータほうかい)という。また、Zの大きい原子核はα粒子を放出して、質量数が4だけ小さい核種に移る。これをα崩壊という。また原子核がエネルギー的に高い状態(励起状態)からより低い状態に移るとき、一般にγ(ガンマ)線を放出するが、γ線のかわりに原子内の電子が飛び出ることがある。これを内部転換という。
[田中 一・加藤幾芳]
原子核の形
大部分の原子核は球形、あるいはラグビーのボール形か、ミカン形をしている。後の二者はいわゆる対称軸をもつ回転楕円(だえん)形である。対称軸の方向の半径がこれに直角な方向の半径よりも大きいときはラグビーのボール形、小さいときはミカン形となる。原子核の形が球状からずれている程度を表す量として電気四重極モーメントQを用いる。ラグビーボール形ではQが正、ミカン形ではQが負である。175Lu(ルテチウム175)の形は球状から著しくずれており、長半径と短半径の比は1.38に及ぶ。
は安定な原子核を断面の形で図示したものである。[田中 一]
原子核の密度
原子核の密度には荷電密度と質量密度の二つがある。荷電密度は陽子自身の荷電密度と陽子の分布の仕方で決まり、質量の密度は中性子と陽子の分布で決まる。二つの密度分布はほぼ等しい。原子核の密度はどの核種に対してもほぼ等しい値、1立方センチメートル当り3×1014グラムである。これを密度の飽和性という。原子核の周辺は境界が比較的明瞭(めいりょう)で、中心部から境界近くまでほぼ密度が一定で、約2フェムトメートル(記号はfm。1フェムトメートルは10-15メートル)の間で急にゼロとなる( )。原子核の形すなわち密度分布はさまざまな方法でみいだすことができる。高エネルギーの電子の流れを原子核に衝突させ、その結果を解析して原子核の大きさや形の大体を推測する。また負のμ(ミュー)中間子が原子の中に入って軌道運動を行っているときのエネルギーを測定しても、同じような推測を行うことができる。原子核の密度はどの核種に対しても同じであるため、球状原子核の半径は質量数の立方根に比例し、(1.1~1.2)
フェムトメートルとなる。1980年代後半、中性子過剰核を人工的につくり、それらの原子核の性質を調べることができるようになった。谷畑勇夫(たにはたいさお)(1947― )らはリチウム11(陽子3、中性子8)核が異常に大きな核半径をもつことを発見し、中性子が外側に広がった中性子ハローとよばれる密度の薄い部分が存在することを示した。2002年(平成14)に山崎敏光(としみつ)(1934― )と赤石義紀(よしのり)(1941― )が、通常の値よりも10倍の密度をもつハイパー核の状態が存在することを理論的に予見し、2004年にこのことが理化学研究所・高エネルギー加速器研究機構の実験で確かめられた。
[田中 一・加藤幾芳]
結合エネルギー
原子核をばらばらの状態にするには多量のエネルギーを与えねばならない。このエネルギーは原子核の結合の程度を示しており、結合エネルギーという。相対性理論によれば、結合エネルギーはばらばらになった核子の総質量と原子核の質量の差から求めることができる。その結果はほぼ質量数Aに比例しており、1個の核子当り約800万電子ボルトである。1個当りの核子の結合エネルギーが核種によらないことをエネルギーの飽和性という(
)。密度とエネルギーが飽和性を有する点で原子核は液体と共通しており、原子核研究の初期には原子核を液滴とみる液滴模型が提唱された。[田中 一]
原子核の角運動量と磁気モーメント
原子核はつねに定まった角運動量を有している。Iを整数または半整数(整数+1/2)とすると量子力学の計算から、その大きさは
で与えられる。ħはプランク定数の1/2πである。
核子自身も磁気モーメントをもっているが、このほか陽子の運動による電流からも磁気モーメントが生じる。原子核の磁気モーメントはこの二つの和であって、
eħ/2Mc(5.050951×10-24エルグ/ガウス)
を単位にして測る。 はIと磁気モーメントを核種の質量数に対して示したものである。
[田中 一]
原子核構造
原子核は量子的状態にあるためそのエネルギーはとびとびの値をとる。エネルギー最低の状態を基底状態、その他の状態を励起状態という。各状態のスピンI、パリティ(+または-)、励起状態から他の状態に移っていく割合すなわち転移確率などを測ることによって原子核の構造を研究する。
原子核の構造は、核子と中間子の性質、およびこれらの間の相互作用から理解しうると考えられるが、この種の試みは当初Aが4以下および無限大の場合にしか成功していなかった。近年はコンピュータの進展に伴って、Aが大きな原子核まで計算できるようになり、A=12以下の原子核の構造を調べられるようになってきた。しかし、Aが12より大きい原子核については、模型を導入して研究している。
独立粒子模型では、核子が核内を独立に運動しており、その状態はただ核全体に広がる平均ポテンシャルの作用を受けて定まるようになっている。パウリの原理のため2個以上の核子が同じ状態を占めることができないので、核子はエネルギーの低い状態から一つずつ順に占めていく。もしこれらの状態のエネルギー値が、それぞれ近接した数個ずつのグループに分かれ、すなわち殻(かく)構造を示していれば、核子がグループの状態全部を占めた核は安定である。中性子、陽子の数がそれぞれ2、8、20、28、50、82、126の核種は安定であって、この数をマジック・ナンバー(魔法の数)という。独立粒子模型の平均ポテンシャルに軌道角運動量とスピン角運動量の積に比例した項を付加して、メイヤーとイェンゼンが1949年にマジック・ナンバーを理論的に導いた。これを殻模型という。殻模型は核内核子の個々の状態に基づく現象をよく理解させる基本的な模型である。
原子核は、多数の核内核子が協力的に運動して核全体の運動を行うことがある。回転運動、振動運動がその例で、この種の運動を集団運動という。150A
190, 220
Aの核には典型的な回転運動が、Aのあまり小さくないこのほかの核には振動運動が現れる。また励起状態には回転運動と振動運動の組合せが現れる。またA
40の領域やエネルギーの高いところでは、炭素12の一部の励起状態を3個のα粒子の運動として扱うように、原子核を相対的に独立した部分から成り立つと考えるクラスター模型が提唱され、研究されている。軽い核の領域ではこの模型が殻模型より有効な場合が少なくない。今世紀になって、核子間の相互作用として模型でなく現実の核力を用いて8Beが亜鈴(あれい)型に並んだ2個のα粒子という構造をとっていることが理論的に示された。なお原子核の表面はいわゆる超伝導状態になっている。このことを見落とすと、原子核の構造を十分に理解することはできない。
[田中 一・加藤幾芳]
原子核反応
電子よりも大きな質量をもつ素粒子やγ線または他の原子核を物質に衝突させると、これらの粒子などは原子内の原子核に衝突する。原子内電子に妨げられない程度のエネルギーをもつ電子の場合も同様である。このときの現象を原子核反応または核反応という。たとえば、16Oを標的核とし、これに重陽子dを衝突させると、中性子nが標的核にもぎ取られて陽子pが飛んで行くことがある。この場合の核反応を16O(d, p)17Oと記す。1980年代とくに1985年ごろから原子核どうしの衝突が詳しく研究されている。これを重イオン反応という。重イオン反応の研究は超ウラン元素の生成を目的としていたが、1985年ごろから中性子過剰核の研究を目的とするようになった。原子核反応の研究は、その反応のおこる割合が反応の種類や入射エネルギーによってどのように変わるかを測定して行う。
核反応には多くの型がある。衝突前後の原子核の種類とその状態(基底状態)が変わらないときを弾性散乱、これ以外の場合を一般に反応(狭義の)という。反応のうち、既述の16O(d, p)17Oの反応をストリッピング、この逆過程をピックアップという。4He(3H, n)6Liは二核子移行反応である。核反応のなかには、入射粒子が標的核内の1、2個の核子とのみ衝突するものと、標的核全体の状態変化を伴う反応とがある。前者を直接反応という。後者の場合、反応の途中で入射粒子と標的核とが準定常的な核を形成し、この準定常核の崩壊という形で進行する反応がある。この準定常核を複合核、このときの反応を複合核反応という。複合核反応は共鳴現象として進行することが多い。
これらのいずれの場合にも、入射粒子や放出粒子は、入射・放出の際に原子核全体の作用を受ける。この作用は複素ポテンシャルすなわち光学ポテンシャルで表すことができる。
高エネルギーの重イオンが原子核に衝突すると重イオンが壊れて、中性子数と陽子数が安定な原子核と異なる不安定な原子核がつくられる。さらに、この不安定原子核を安定核に再び衝突させることによって、不安定核のさまざまな性質が調べられる。
重イオン反応は、原子核の高エネルギー状態や質量数の大きい核種を研究する新しい領域である。核内陽子の全静電エネルギーがZ2に比例するため、ウラン近傍および超ウラン核は自発的に、あるいは中性子を吸収して、ほぼ二つに分裂する。これが1938年に初めてみいだされた核分裂であって、原子核のエネルギーを外に取り出す原子核反応であることはよく知られている。
[田中 一・加藤幾芳]
原子核研究の発展
1960年ごろまでは原子核は陽子と中性子の限られた組合せの物理系であると思われてきたが、きわめて短い寿命の不安定核に対する実験的研究が1980年代後半から進展し、これによって11Liのように陽子3個と中性子8個という従来の通念からはみだした原子核の構造も研究されるようになってきた。さらに、大強度陽子加速器をつくって、1個または2個のΛ粒子およびΣ粒子が構成要素となるハイパー核の実験研究が進展してきている。この結果、原子核という領域は従来考えられてきたよりも広い領域であることがしだいに認識されてきた。これに伴い、原子核の物理像も多彩になっていくのではないかと思われる。原子核のクラスター構造もそのような物理像のなかの重要な部分になっていくのではなかろうか。このような最近の研究動向に対する日本の実験的および理論的寄与は大きい。
[田中 一・加藤幾芳]
『菊池正士著『原子核の世界』(1973・岩波新書)』▽『杉本健三・村岡光男著『原子核物理学』(1988・共立出版)』▽『阿部龍蔵・川村清監修、永江知文・永宮正治著『原子核物理学』(2000・裳華房)』▽『市村宗武・坂田文彦・松柳研一著『原子核の理論』(2001・岩波書店)』▽『高田健次郎・池田清美著『原子核構造論』(2002・朝倉書店)』▽『河合光路・吉田思郎著『原子核反応論』(2002・朝倉書店)』▽『朝倉物理学大系編集委員会編『現代物理学の歴史1 素粒子・原子核・宇宙』(2004・朝倉書店)』