日本大百科全書(ニッポニカ) 「めかけ」の意味・わかりやすい解説
めかけ
上方(かみがた)では「てかけ」とよぶ。漢字では妾の字をあてるが、その意味は時代により異なる。上代は一夫多妻の時代であり、上世(律令(りつりょう)時代)でも同様であったが、同時代に中国から継受された律には、妻ありてさらに妻をめとる者を処罰する旨の規定があったので、この規定との調和を図るために、令では、元来次妻である「うわなり」を妾(しょう)とよぶことにし、妻ありて妾をめとることは前記の規定に触れないと考えたのである。したがって、当時の妾は妻と同じく夫の二等親であり、夫の財産の相続権を有していたが、中国の妾は妻が配偶者であるのと違って、売買される賤隷(せんれい)であったため、当時の日本の妾は、妾(しょう)とよばれることを嫌い、継妻(けいさい)と自称したようである。中世でも一夫多妻の制であったが、次妻以下の妻の身分はしだいに低下して、江戸時代には、妻とはっきり区別された。妻に対するものは夫とよばれたのに対し、妾に対するものは、奉公人の場合と同じように、主人とよばれたことによく示されている。すなわち、妾は妾(めかけ)奉公人となったのである。したがって、2人妻をもつことは禁止されたが、妾をもつことは禁止されなかった。1870年(明治3)制定の新律綱領は、奈良時代の律に倣って、妾を妻と同じく夫の二等親としたが、このことは当時のキリスト教の一夫一妻主義の影響を受けた論者の非難を受け、82年施行の旧刑法では、妾公認の制を廃止した。政府が廃止に踏み切ったのは、旧刑法などの法典編纂(へんさん)が不平等条約の改正を主要目的としたので、妾の制度を保存することはこの目的にかなわないと考えたからである。
現行民法上、妾契約およびそれに伴う金銭供与の約束は公序良俗違反として無効である(90条)が、ただ判例は、妾関係を絶つ場合の手切れ金贈与の契約を有効としている。夫が妾を置いた場合、妻は夫の貞操義務違反として離婚請求の訴えを提起できる(770条1号)。また、妾の子は当然非嫡出子であり、ただ、妾関係が存在すれば強制認知が容易となるにすぎない。
[石井良助]