1870年(明治3)に制定された刑法典。これ以前に、明治新政府は中央集権的国家にふさわしい統一的な刑法典の制定を目ざし、1868年「仮刑律」(または「仮律」)を完成させたが、公布・施行されるに至らなかった。そこで、この新律綱領が、明治以降のわが国で初めて公布・施行された刑法典ということになる。しかし、内容的には、仮刑律と同様、中国、とくに明清(みんしん)の律令刑法を範とし、江戸幕府の刑法を参考にしたものであり、古色蒼然(そうぜん)としたものであった。すなわち、法典の体裁からみると、条文ごとに規定を整理し体系化することなく雑然としたものであるばかりでなく、「比附援引(ひふえいん)」「不応為律(ふおういりつ)」にみられるように、刑法の類推適用や遡及効(そきゅうこう)を認めるなど罪刑法定主義をいまだ知らず、武士や僧尼につき身分上の区別を設けるなど、およそ近代的な刑法典とはほど遠いものであった。なお、新律綱領の体裁を条文ごとに整理し、内容的に補充したのが、1873年の「改定律例」であり、この改定律例は、1882年の近代的刑法典に属する「旧刑法」の施行まで効力を有していた。
[名和鐵郎]
1870年(明治3)12月に発布された刑法典。全6巻8図14律192条より成る。明治維新以来,国家秩序維持のため統一的刑法典編纂の必要性が痛感されていた。新政府は,手始めに1868年に仮刑律(仮律。12律118条)を定めたが,その後の調査,編集に基づき編纂したのが新律綱領である。両法典とも明律,清律,《御定書百箇条》を参考にして作成されている。《新律綱領》は,刑法官部内の準則であった仮刑律と異なり,官吏を名あて人に発布され,府藩県に頒布されただけでなく,翌年には書店での印刷販売が許されたため国民も初めてその内容を知ることができた。五刑制(笞,杖,徒,流,死)を復活した点,仮刑律に比べ刑罰が寛大で軽くなっている点等にも特色がある。しかし,西洋法制の影響はまだみられない。新律綱領は《改定律例》とともに旧刑法典の施行(1882)まで効力をもった。
→改定律例
執筆者:堀内 捷三
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1870年(明治3)12月末に明治政府が「内外有司」にあてて頒布した刑法典。冒頭で律令の刑罰構成(笞・杖・徒・流・死)と金銭による贖罪(しょくざい)への換算,官吏への特別刑適用要領などを一覧にして規定。そのうえで14の律が処罰すべき犯罪の態様を192の項目にわたって定めたが,「断罪無正条」「不応為」条項は,条文になくても非難に値する行為は処罰できると大幅な例外を認めていた。82年1月の刑法施行とともに廃止された。
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【近代】
明治初年にも敵討は行われ,〈仮刑律〉(1868)は旧幕期と同じく原則として敵討を許した。〈新律綱領〉(1871)は敵討を原則として違法とする中国法の立場に転じ,笞五十とした。司法卿江藤新平は1873年(明治6)2月7日復讐禁止令を公布して敵討を禁じ,実行すれば相当の罪科に処すべきことを令した。…
…明治新政府の仮刑律(1868)は,死,流,徒,笞(杖)刑を採用し,旧幕期の追放刑をすでに若干の藩で律の伝統から採用されていた徒刑に代えた。新律綱領(1870)も基本的にこれを維持し笞,杖,徒,流,死の五刑を定めた。また,北海道を予定していた流刑も徒刑に転換されるなど,一定期間の使役を内容とする徒刑が自由刑の中心として認められ,その実施は各府藩県管轄の徒場にまかされた。…
… 日本近代以後の刑罰を歴史的にみると,そこには,身体刑に代えて自由刑・財産刑を刑罰制度の中心とし,その自由刑をも単純化していくという一般的な刑罰史の流れに沿っている。まず,明治維新直後の1868年(明治1)に制定された仮刑律は,基本的に律令制度にならって,笞,徒(ず),流(る),死の4種類の刑罰を認め,次いで70年に制定された新律綱領も,笞,杖(じよう),徒,流,死の5刑をおいていた。が,73年に制定された改定律例は,明清律のほかにヨーロッパ法をも斟酌(しんしやく)し,従来の5刑制を廃止し,笞,杖,徒,流の4種を改め,すべて懲役とした。…
…やがて,フランス革命の精神を反映した1810年のフランス刑法典が成立し,19世紀を通じて,近代刑法の模範とされたのであった。 日本では,明治維新後,1868年(明治1)に仮刑律が制定され,続いて新律綱領(1870),改定律例(1873)が制定されたが,これらは,中国法系の律の影響を強くうけたものであった。日本の刑法が近代化するのは,82年に施行された旧刑法によってである。…
…両者は親族の関係を表す尺度という点では共通点をもつが,制度の基礎となる思想や制度の内容はまったく異なるものである。等親制は中国の古制に由来し(宗法),日本固有の親族観念と融合して大宝令(701),養老令(718)にとり入れられ,その後消長はあったが,明治以後再構成されて1870年(明治3)の新律綱領の5等親制となった。等親制は〈家〉を尊重する,いわゆる旧〈家族制度〉的思想に基づく価値観によって親族の構成員の尊卑の地位を定め,これを個別的に列挙して示すという方法をとっていた。…
※「新律綱領」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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