現代外国人名録2016 の解説
メガワティ・スカルノプトリ
Megawati Sukarnoputri
- 職業・肩書
- 政治家 インドネシア闘争民主党(PDI-P)党首 元インドネシア大統領
- 国籍
- インドネシア
- 生年月日
- 1947年1月23日
- 出生地
- ジョクジャカルタ
- 本名
- メガワティ・スティアワティ・スカルノプトリ〈Megawati Setiawati Sukarnoputri〉
- 別名
- 愛称=エガ, メガ
- 学歴
- パジャジャラン大学(農業)中退,インドネシア大学(心理学)中退
- 経歴
- 故スカルノ初代インドネシア大統領の長女。母は“国母”として民衆の敬愛を集めたファトマワティ第一夫人。バンドンのパジャジャラン大学で農業を専攻、結婚と出産で一時学業を中断した後、国立インドネシア大学で心理学を学ぶ。1983年旧国民党の流れを継いだインドネシア民主党(PDI)ジャカルタ支部副部長に就任。’87年ソーシャルワーカーから国会議員に当選。’93年12月PDI総裁(党首)に就任、民主党支持層の拡大に努めるが、’96年6月党大会においてスハルト政権の介入により解任され、民主党は分裂。7月ヨギ・メメト内相、フェイサル・タンジュン国軍司令官らを相手取り、決議無効と損害賠償を求める訴えをジャカルタ地裁に起こした。’97年総選挙への参加が阻止され国会の議席を失う。’98年のスハルト政権崩壊後、’99年2月メガワティ派はインドネシア闘争民主党(PDI-P)と党名を改称、同党党首に就任。同年6月総選挙で第一党に躍進、10月ワヒド政権の副大統領に就任。2001年7月ワヒド大統領の罷免を受け、大統領に昇格。2004年4月総選挙でゴルカル党に敗れ、第2党に後退。同年5月ナフダトゥール・ウラマのハシム・ムザディ議長とペアを組み、正副大統領選に立候補するが、9月ユドヨノ元調整相との決選投票に敗れ、10月退任。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報