アメリカのバイオリン奏者、指揮者。ニューヨーク生まれ。ルイス・パーシンガーに師事、1924年サンフランシスコ交響楽団と協演して注目され、以来「神童」として喧伝(けんでん)された。27年パリ・デビューののち、同地でルーマニアの名バイオリン奏者エネスコに師事。29年から本格的な演奏活動を開始した。第二次世界大戦後、一時技術的な不調に陥ったが、バース音楽祭、ウィンザー音楽祭、メニューイン音楽祭などを主宰、また指揮にも手を染めるなど幅広く活躍、精神的な深さと強さを加えたことが独奏活動復帰につながった。59年からアメリカを離れ、ロンドンを本拠に活動。85年に英国籍を取得。1951年(昭和26)に初来日して以来、数回にわたって日本を訪れた。
[岩井宏之]
『岸本完司訳『メニューイン ヴァイオリンを愛する友へ』(1987・音楽之友社)』▽『服部成三郎・服部豊子訳『メニューイン ヴァイオリン奏法』(1976・音楽之友社)』
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アメリカのバイオリン奏者,指揮者。少年時代E.イザイエの高弟L.パーシンガーに師事,神童の名をほしいままにし,1924年サンフランシスコ,26年ニューヨーク,27年パリでデビュー。その後G.エネスコ,A.ブッシュについて研さんを積み,若くして世界の一流バイオリン奏者のなかに加えられるに至った。第2次世界大戦後は技術的に不安定な面をみせることが少なからずあったが,70年代に入ると円熟した表現力を武器に,精神主義的な独自の芸風を確立,再び名声を手中にした。58年メニューイン室内管弦楽団をイギリスで結成,指揮活動も行うようになり,翌59年ロンドンに定住。58年以来,バース音楽祭,ウィンザー音楽祭などの芸術監督を務め,また62年音楽英才教育のための学校を創立するなど,多方面に及ぶ活躍をみせている。1951年初来日。
執筆者:岩井 宏之
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