メルケル

デジタル大辞泉 「メルケル」の意味・読み・例文・類語

メルケル(Angela Merkel)

[1954~ ]ドイツの政治家。西ドイツのハンブルクに生まれ、直後に東ドイツに移住。ライプチヒ大学で物理学を専攻。1989年のベルリンの壁崩壊前後から民主化運動に参加。1990年キリスト教民主同盟(CDU)入党。コール首相のもと女性担当相・環境相を歴任。1998年総選挙で野党に転じたCDU幹事長に就任。2005年9月の総選挙で第一党となり社会民主党(SPD)との連立政権の首相に選ばれた。女性初、旧東独出身初の首相。→ショルツ

メルケル(Friedrich Sigmund Merkel)

[1845~1919]ドイツの解剖学者。ニュルンベルクの生まれ。エアランゲン大学で医学博士号を取得。1875年、皮膚表皮の基底層神経線維と接する特殊な細胞を発見。触覚細胞(Tastzellen)と名付けたが、その機能の解明は難しく、「メルケル細胞」と命名された。

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百科事典マイペディア 「メルケル」の意味・わかりやすい解説

メルケル

ドイツの政治家。ドイツ連邦共和国首相(第8代)。ハンブルク生まれ。牧師である父親の任務で,生まれてすぐに共産主義政権の旧東ドイツに移住し東ドイツで育つ。中学時代にロシア語オリンピックの全国大会で優勝した経験がある。1978年,ライプツィヒ大学物理学科を卒業。博士号取得。在学中にウルリッヒ・メルケルと学生結婚した。ベルリンの研究所に勤務していた1986年,西ドイツを訪問して,民主的で豊かな生活に衝撃を受けたといわれる。1998年のベルリンの壁崩壊と同時に〈民主主義の出発〉の結党に加わり,報道官を務め,東ドイツ最後の首相デメジエールの副報道官を務めた。東西ドイツ統一後の1990年にはキリスト教民主同盟(CDU)に入党,連邦議会議員に当選。コール政権で婦人・青年相に抜擢される。1994年からは同じくコール政権で環境・自然保護・原子力保安大臣を務め,〈コールのお嬢さん〉と言われた。1998年の総選挙でキリスト教民主同盟(CDU)が大敗し野党に転じると,同党幹事長に就任。同年,物理学者のヨアヒム・ザウアーと再婚した。1999年,キリスト教民主同盟(CDU)党首に就任。党内基盤が弱く,2002年の総選挙では首相候補をキリスト教社会同盟(CSU)に譲った。しかし,その後抜群の政治力を発揮しはじめ,地方議会を中心に着実に党勢を広げた。2005年10月の総選挙ではキリスト教民主同盟(CDU)とキリスト教社会同盟(CSU)の首相候補として,与党である社会民主党(SPD)の得票を上回ったが与野党ともに過半数には届かず,ドイツ社会民主党(SPD)との大連立政権の新首相に選ばれた。2009年9月の総選挙で勝利し,SPDとの連立を解消,自由民主党FDP)と連立して第2期政権を発足させた。2011年3月の福島第一原発事故で,反原発の緑の党が地方議会選挙で躍進し,国内世論が反原発に傾くと,それまでの原発推進政策を大きく転換し,2022年までに国内12基の原発をすべて閉鎖する方針を提示し,新エネルギー政策推進に舵を切った。2010年ギリシア危機に始まる欧州経済危機,ユーロ危機ソブリンリスクでは,強力なドイツ経済を背景にEUのとりまとめ役としてリーダーシップを発揮,この点での国民の人気は高い。しかし,2012年から2013年の州議会選では,キリスト教民主同盟(CDU)は得票を減らし続けており,ニーダーザクセン州ではSPDと緑の党の連立政権樹立を許した。2013年9月22日に実施された連邦議会選挙では,メルケル率いるキリスト教民主/社会同盟(CDU/CSU)は,得票率を伸ばしたものの単独過半数には及ばず,連立政権パートナーの自由民主党(FDP)は議席獲得に必要な5%条項をクリアできなかったため1949年の連邦議会選挙以来初めて議席を失う結果となった。メルケルはキリスト教民主/社会同盟(CDU/CSU)と社会民主党(SPD)との連立協議に入り,大連立を組むことに成功,12月17日独連邦議会で第3次メルケル政権が発足した。国際問題では,2014年3月に発生したウクライナ危機では,対ロシア関係で微妙に立場の異なるEU諸国をまとめ,アメリカとともにロシアに圧力をかける一方,2015年2月,フランス・オランド大統領とともにウクライナ・ポロシェンコ大統領,ロシア・プーチン大統領を仲介し4首脳会談を実現させ停戦合意を成立させた。しかし2015年1月,ギリシアにEUに対し緊縮策の見直しを主張するツィプラス政権が誕生,再び欧州債務問題における危機的な焦点となり,メルケルのリーダーシップが再び問われる事態となった。→ウクライナ問題

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「メルケル」の意味・わかりやすい解説

メルケル
めるける
Angela Merkel
(1954― )

ドイツ連邦共和国の第8代首相。同国で初の女性首相であり、初の旧東ドイツ出身の首相でもある。

 西ドイツのハンブルクで生まれるが、生後約2か月でプロテスタントの牧師である父に連れられ、東ドイツへ移住。カール・マルクス大学ライプツィヒ(現、ライプツィヒ大学)に入学し、社会主義統一党(SED)の青年組織である自由ドイツ青年団(FDJ:Freie Deutsche Jugend)に加入する。1977年、ウルリヒ・メルケルUlrich Merkelと結婚。のちウルリヒとは離婚するが、ヨアヒム・ザウアーJoachim Sauer(1949― )と再婚した後もメルケル姓を名のり続ける。1978年からベルリンの科学アカデミー物理化学中央研究所に勤務。1986年に物理学で博士号を取得している。

 1989年、ベルリンの壁崩壊後、市民運動組織「民主的出発(DA:Demokratischer Aufbruch)」に参加。東ドイツのデメジエールLothar de Maizière(1940― )政権の副報道官を務める。1990年12月、統一ドイツ最初の連邦議会選挙で、キリスト教民主同盟(CDU)の候補として当選。1991年1月、ヘルムート・コールの抜擢(ばってき)により、第四次コール政権の女性・青少年問題担当相となる。同年12月にCDU副党首、1993年にメクレンブルク・フォアポンメルン州の党支部代表。1994年、第五次コール政権で環境・自然保護・原子力安全相。1998年、CDU党幹事長。1999年末、前年に首相を辞任したコールの不正献金スキャンダルが発覚した際、コールを公然と批判し、2000年4月、党員の支持を背景にCDUで初の女性党首に就任した。2002年、CDU/CSU(キリスト教社会同盟)の連邦議会議員団長。

 2005年11月、連邦首相に就任し、第一次メルケル政権(社会民主党(SPD)との大連立)が発足。51歳での首相就任は歴代最年少であった。その後、好調なドイツ経済と自らの人気を背景に、2009年、2013年と連邦議会選挙に勝利、第二次メルケル政権(CDU/CSUと自由民主党(FDP)の連立)、第三次メルケル政権(CDU/CSUとSPDの大連立)を指導した。

 メルケルの政治スタイルは、良くいえば柔軟、悪くいえば日和見(ひよりみ)的である。自ら主義主張を唱えたり立場を固定したりすることはまれで、世論の動向を注視しながら、可能なら他党の政策でも取り込むことをいとわない。たとえばその柔軟性は、2011年の福島第一原発事故とそれに対する世論の反応を受け、それまでの自らの原発稼働延長路線を翻し、2022年までの原発廃棄を決定したことに表れている。また、社会民主主義的でリベラルな政策も積極的に取り込み、最低賃金制度の導入や同性婚の合法化などを進めた。外交的にはユーロ危機やウクライナ危機など相次ぐ危機対応に追われたが、そのなかでヨーロッパの実質的なリーダーとして存在感を高めた。

 また、2015年9月、シリア難民らを受け入れるために国境開放を決断するなど、人道主義的な側面もみせた。ただし、この寛容な難民受け入れ政策は国内外でさまざまな議論を巻き起こした。2017年9月の第19回連邦議会選挙ではCDU/CSUが第一党を維持したものの、二大政党の得票が下落し、右翼ポピュリズム政党の「ドイツのための選択肢(AfD)」の議席獲得を許し、連立交渉も難航。結局2018年3月、選挙から約5か月を経てSPDとの大連立が成立し、第四次メルケル政権が発足した。

[板橋拓己 2018年8月21日]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メルケル」の意味・わかりやすい解説

メルケル
Merkel, Angela

[生]1954.7.17. ドイツ連邦共和国,ハンブルク
アンゲラ・メルケル。ドイツの政治家。首相(在任 2005~21)。旧名 Angela Dorothea Kasner。ドイツ初の女性首相であり,ドイツで 2番目に長い 4期16年の在任期間を誇った。ドイツ連邦共和国(西ドイツ)に生まれ,ルター派教会牧師である父親の赴任先のドイツ民主共和国(東ドイツ)で育った。1973年高校を卒業後,ライプチヒに移り,カルル・マルクス大学(→ライプチヒ大学)で物理学を学ぶ。そこでウルリヒ・メルケルと出会い,1977年に結婚,1978年に大学卒業したあとは東ベルリンの研究機関に勤める。1982年に離婚するが,メルケル姓を名のる。1986年物理学で博士号を取得。1989年の共産党政権崩壊後,市民政党のメンバーとなる。1990年東ドイツ最後のデメジエール政権の副報道官に抜擢され,同年 10月の東西ドイツ統一前にヘルムート・コール首相率いるキリスト教民主同盟 CDUに入党,12月連邦議会議員となる。1991~94年女性・青少年問題大臣,1994~98年環境大臣を歴任。2000年 CDU党首に就任。2005年の総選挙でキリスト教民主・社会同盟 CDU・CSUと社会民主党 SPDによる大連立政権が発足,ドイツ初の女性首相,初の東ドイツ育ちの首相として就任した。在任中は,東西の経済格差に悩むドイツを安定させて大国に育て上げる一方,ヨーロッパを襲ったユーロ危機や,シリアなどからの大量難民問題,ロシアによるクリミア半島武力併合に粘り強く対応するなど,ヨーロッパ連合 EUを牽引し,「ヨーロッパの母」とも呼ばれた。2021年12月政界引退。

メルケル
Merkel, Garlieb Danielovich

[生]1769.11.1. レドゥールガ
[没]1850.5.9. カトラカルンス
ロシア,ラトビアの作家,ジャーナリスト。ドイツのワイマールに学び,J.ヘルダーと親交をもった。のちベルリンにおいて著作活動に入り,A.コッツェブと共同してゲーテ,シラーらドイツ・ロマン主義者に対して論陣を張った。

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知恵蔵 「メルケル」の解説

メルケル

ドイツの政治家で、第8代首相(2005年~)。フルネームはアンゲラ・ドロテア・メルケル。
1954年7月17日、旧西ドイツのハンブルク生まれ。プロテスタントの聖職者であった父の赴任に伴い、生後間もなく旧東ドイツのベルリンに移った。大学では物理学を専攻し、研究者として働くが、89年のベルリンの壁崩壊以来、政治活動に身を投じ、中道右派の保守政党キリスト教民主同盟(CDU)に入党。90年の東西ドイツ統一後最初の連邦議会選挙で初当選。以降、閣僚などを歴任した。
2005年、CDUは、シュレーダー首相率いる中道左派政党ドイツ社会民主党(SPD)を僅差(きんさ)で破った。この結果、CDUとその姉妹政党キリスト教社会同盟(CSU)、SPDが大連立を組み、CDUのメルケル党首がドイツ連邦共和国の首相に就任した。ドイツでは歴代最年少かつ初の女性首相。国民への政策の説明にインターネットのビデオ・ポッドキャストを利用していることで話題になる。また着任以来、例年のようにアメリカの経済誌「フォーブス」の番付で、世界で最も力のある女性に選ばれている。
2009年の総選挙ではCDUとCSUが勝利し、SPDとの大連立を解消して、首相2期目を務めている。なお、ドイツ語では名詞に性があるため、連邦首相Bundeskanzlerの女性形としてBundeskanzlerinと表している。
高い支持率を誇る同政権だが、10年のギリシャ財政危機などに際しては多額の財政支援をドイツが負うことになったため、支持率が30%を割り込んだ。その後、欧州連合(EU)各国の財政規律の強化を主導し、更なる公的資金投入に抵抗していることなど評価され、12年には09年以来の高支持率を得ている。また、CDUは原子力発電の稼働期間延長を目指していたが、福島第一原子力発電所事故による安全性危惧の声の高まりなどによって、速やかな原発廃止へとエネルギー政策を転換した。

(金谷俊秀  ライター / 2012年)

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367日誕生日大事典 「メルケル」の解説

メルケル

生年月日:1836年1月11日
ドイツの刑法学者
1896年没

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