ベルリンの壁(読み)べるりんのかべ(英語表記)Berlin Wall 英語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベルリンの壁」の意味・わかりやすい解説

ベルリンの壁
べるりんのかべ
Berlin Wall 英語
Berliner Mauer ドイツ語

西ドイツ分断の時代につくられた、旧西ベルリンを囲む壁。旧東ドイツ(ドイツ民主共和国)の首都であった東ベルリンから西ベルリンへの住民の流出を防ぐため、東ドイツ政府が1961年8月、アメリカ、イギリス、フランスが共同統治する西ベルリンを有刺鉄線等で物理的に封鎖。その後、1975年にはコンクリート製で高さ3メートル強の総延長155キロメートルの壁が完成した。東西陣営分断の象徴として、「ベルリンの壁」ということばが幅広く使われた。西ベルリンは東側における陸の孤島と化していたが、アメリカをはじめとする西側諸国の支援により、市民は豊かな生活を謳歌(おうか)することができた。壁を乗り越えて西へ逃げた東ドイツ市民は約5000人に上るが、約200人が国境警備兵の銃撃地雷などで死亡したとされる。

 1980年代末、ソ連ではゴルバチョフによるペレストロイカが行われ、東欧諸国では独裁政権への反発と民主化要求が高まり、東ドイツも例外ではなくなった。1989年11月9日、東ドイツ政府は国外旅行の自由化を発表。これを知って集まった東西ベルリン市民によって壁は壊され、東西冷戦終結の象徴的シーンとなった。その後、平和裏に壁が撤去され、翌1990年には東西ドイツの統一が実現し、東西ベルリンは統合して新たなベルリン市になった。壁の一部はいまでも当時の遺産として残され、ペイントを施されてギャラリーのようになっている。また壁の破片は、ベルリン土産(みやげ)として売られている。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベルリンの壁」の意味・わかりやすい解説

ベルリンの壁
ベルリンのかべ
Berliner Mauer

1961~89年まで西ベルリンを囲い込み,東ベルリンおよび周辺の東ドイツ地域との交通を遮断した障壁ドイツが東西に分裂後の 49~61年の間に約 250万人の東ドイツ市民が西ドイツに脱出。特に熟練労働者,専門職,知識人の脱出がふえ続け,東ドイツ経済の命運を脅かす事態となった。そこで東ドイツは,東ベルリン市民の西ベルリンへの通行を遮断する障壁を構築した。壁の構築は 61年8月 12~13日の夜間に開始された。有刺鉄線とブロックによる障壁はその後,監視塔と銃座,地雷に守られた有刺鉄線付きのコンクリート壁 (高さ最大5メートル) に変った。 80年代までに,壁と電流フェンス,堡塁による障壁は 45キロに及び市を分断,その後さらに 120キロ延びて西ベルリンを囲い込み,東ドイツから完全に隔離した。こうしてベルリンの壁は,冷戦によるドイツおよび欧州の東西分断を象徴する存在となった。この間,約 5000人の東ドイツ市民が,さまざまな手段で壁を越え西ベルリンに逃げ延びた。一方,壁を越えようとして東ドイツ当局に捕えられた市民も 5000人に及び,ほかに 191人が壁越えの最中に射殺された。 89年 10月,東欧を巻込んだ民主化の波のなか,東ドイツの共産主義政権は崩壊。 11月9日,東ドイツ政府は西ドイツ (西ベルリンを含む) との国境を開放,ベルリンの壁も打ちこわされて通路ができ東ドイツ市民は西側と自由に往来できるようになった。これを境に,東西ドイツの政治的障壁としてのベルリンの壁はその役目を終えた。 (→冷戦 )

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