日本大百科全書(ニッポニカ) 「モスクワ協定」の意味・わかりやすい解説
モスクワ協定
もすくわきょうてい
ヤルタ、ポツダム両協定に基づく米英仏中ソ五国からなる外相理事会の第1回会議(ロンドン、1945年9~10月)の行き詰まり打開のため、同年12月、米英ソ三国外相だけがモスクワに集まり開いた会議で合意をみた戦後国際政治の取り決め。(1)イタリアなど旧枢軸国との講和条約の準備、(2)極東委員会および対日理事会の設置、(3)朝鮮米ソ合同委員会および臨時朝鮮政府の設立、(4)中国の国民政府の下での統一促進と干渉の排除、(5)国連原子力委員会の設置などがそのおもな内容である。このうち、朝鮮問題に関しては信託統治の方針が打ち出されたため、早期独立を希望する朝鮮人民大衆の憤激を買い、また日本の占領については、対ドイツにおけるような米英仏ソ四大国の分割占領方式でなく、アメリカの意向が大きく反映する準単独占領方式が採用され、後の日本の行方に大きな影響を与えた。
[藤村瞬一]