翻訳|Montevideo
ウルグアイの首都。人口135万(2005)。全人口の約45%が集中し,首都への人口集中率では南アメリカ随一である。1520年この地を通過したマゼランが小高い丘(おそらくはセリートcerrito)を見て〈モンテム・ビデオ(われ山を見たり)〉と叫んだことが地名の起源ともいわれる。1726年この地方へのポルトガル人の進出を阻止するためにブエノス・アイレス州知事サバラが市を建設するとモンテビデオと命名され,当初は要塞都市だったが,天然の良港を有し,地理的にもラ・プラタ川の入口に位置していたことから,しだいに港としてブエノス・アイレスのライバルとなった。こうした通商面での対立関係がスペインからの独立に際し,ウルグアイをアルゼンチンから分離(1828)させる一因となった。独立後も共和国最大の貿易港として君臨し,とくに19世紀後半には皮革,獣脂,食肉などの輸出港として急成長を遂げ,外国移民(とくにイタリア系)の流入が商業の発展を促し,西欧的な近代都市へと脱皮した。国内に10万を超す都市がほかにないことから,ほとんどあらゆる分野で他都市を凌駕(りようが)しており,食品加工業,飲料をはじめとする軽工業のほとんどは当市に集中し,国の輸出入の4分の3以上はモンテビデオ港を経由する。新聞・雑誌もほとんどがここで出版され,官公吏や中間層も当市に集中している。市内には1849年設立の共和国大学(モンテビデオ大学)があるほか,全国の中等学校の半分以上がおかれ,文教の中心地でもある。全国に延びる鉄道,高速道路の起点でもあり,市内にはホセ・バッジェ・イ・オルドーニェス公園,アルティガス公園などがあり,1830年7月18日の憲法制定を記念して命名された7月18日通りは,高層マンションと高級なショッピング・センターとして知られている。
執筆者:松下 洋
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南アメリカ南東部、ウルグアイの首都。ラ・プラタ川河口の北岸に位置する港湾都市である。ウルグアイの政治、経済、文化の中心地で、同国の全人口の約4割がモンテビデオとその郊外に集中しており、近隣30地域でモンテビデオ特別県(人口138万1542。2001)を形成している。国内唯一の貿易港をもち、同国の主要な輸出品目である羊毛、肉類、皮革の90%を取り扱っている。繊維、食品加工、靴、せっけんなどの工業も大部分がここに集中し、アメリカのスウィフト社の精肉工場が有名である。ウルグアイ大学もあり、高等教育は首都以外では受けられない。1726年、ブエノス・アイレスの総督サバラによって、ポルトガル人の侵入を防ぐ砦(とりで)として建設されたが、市の西側にある馬蹄(ばてい)形の湾が天然の良港でラ・プラタ川の河口にあることから、貿易港として栄えるようになった。古い市街地はこの港付近から発達し、新しい市街地はその背後と東方に延びている。ウルグアイ独立運動の中心となり、1828年首都になった。近年、港で大規模な築港が行われた。
市の中心は政庁のある独立記念広場で、独立の父ホセ・アルティガスの騎馬像が立っている。ここから東西に7月18日通りが通じ、都心部を形成している。南アメリカの小パリとよばれる美しい町で、市街東部の海岸通りには高級住宅やアパートが並び、南アメリカ有数の避暑地となっている。街路や並木がよく手入れされており、地下水道も完備している。かつては、イタリア人、イギリス人、アメリカ人をはじめとする諸外国人が、それぞれ特定の地区に居住していたが、その後、同化された。市内には歴史のある博物館、近代美術館、世界的に有名なバラ園などがある。またラテンアメリカ統合連合(ALADI)本部の所在地でもある。市内と近郊に約200家族の日系人が居住し草花栽培に従事している。
[山本正三]
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