ラテンアメリカ映画(読み)ラテンアメリカえいが

改訂新版 世界大百科事典 「ラテンアメリカ映画」の意味・わかりやすい解説

ラテン・アメリカ映画 (ラテンアメリカえいが)

ラテン・アメリカでつくられる映画,すなわちいわゆる〈ラテン・アメリカ映画〉を代表する国は,メキシコとブラジルアルゼンチンで,そのほかチリ,コロンビアペルーベネズエラキューバボリビアにも,ささやかながら力強い〈第三世界の映画〉の動きがある。

1931年,革命後のメキシコの姿を記録するためにセルゲイ・M.エイゼンシテインを中心とするソビエト映画人グループが約1年間メキシコに滞在,《メキシコ万歳!》(未完)を撮影するが,その刺激のもとにメキシコ映画は出発したといわれる。しかし,ソビエト映画のモンタージュ技術や社会的テーマの影響から脱して,世界的水準に達する〈真のメキシコ映画〉が生まれるのは40年代になってからであり,とくにエミリオ・フェルナンデスEmilio Fernandez(1904-86)監督,ガブリエル・フィゲロアGabriel Figueroa(1907-97)撮影による一連の〈芸術性の高いメロドラマ〉,すなわちドロレス・デル・リオ主演の《野性の花》(1943),《マリア・カンデラリア》(1944),《運命の女》(1949),アメリカの小説家ジョン・スタインベックの原作・脚本による《真珠》(1948)などが,カンヌ映画祭など各地の国際映画祭で受賞して注目された。50年代のメキシコ映画は,1947年からメキシコに住みついたルイス・ブニュエルによって代表される。名カメラマン,ガブリエル・フィゲロアと組んだ《忘れられた人々》(1950)から《エル》(1952),《ナサリン》(1958)をへて,《皆殺しの天使》(1962)等々に至るブニュエル監督の傑作群がメキシコでつくられた。ブニュエル以後のメキシコ映画で世界の注目を集めた異色の存在として,70年代に〈暴力のシュルレアリスム〉と呼ばれた《エル・トポ》(1971)を撮ったチリ出身の映画作家アレハンドロ・ホドロフスキーAlejandro Jodorowsky(1929- )がいる。

 なお,メキシコ出身で国際的に知られた俳優としては,ハリウッドで活躍した美人女優ドロレス・デル・リオ,性格俳優ペドロ・アルメンダリス,肉体派女優マリア・フェリックス,個性的な脇役として活躍した女優カティ・フラド,それに〈メキシコのチャップリン〉といわれたカンティンフラスがいる。

世界の映画史にブラジル映画が加わるのは,1953年,リーマ・バレットLima Barreto(1906-82)監督《野性の男》(1952)がカンヌ映画祭で注目を浴びてからだが,その興隆の立役者は,フランスのアバンギャルド映画から出発してイギリスのドキュメンタリー映画運動をへて帰国したアルベルト・カバルカンティであった。《野性の男》の企画・製作に加わったカバルカンティは,次いで若い映画作家を育成するために挺身し,国立映画協会の設立と映画助成金制度の設置に貢献した。その成果が60年代前半に起こったいわゆる〈新しい映画(シネマ・ノーボcinema novo)〉の動きで,〈ブラジルのヌーベル・バーグ〉〈第三世界の映画〉と喧伝され,64年のカンヌ映画祭で注目されたネルソン・ペレイラ・ドス・サントスNelson Pereira dos Santos(1928- )監督《乾いた生活》(1963)に次いで,グラウベル・ローシャGlauber Rocha(1938-81)(《黒い神と白い悪魔》1964),カルロス・ディエゲス(《ガンガ・ズンバ》1963),ルイ・ゲッラ(《欲望の浜辺》1963)らが脚光を浴びた。ソビエト映画のモンタージュとアメリカ西部劇の活劇性をとりまぜた〈シネマ・ノーボ〉は,1960年代の世界の映画に圧倒的な勢力を誇示したものの(その一つの頂点が〈ブラジルの歴史と神話を覆し,告発した〉グラウベル・ローシャ監督の《アントニオ・ダス・モルテス》(1969)であった),71年にはローシャはブラジルの政治的圧力から逃れてヨーロッパに亡命,思うままに映画を撮ることができぬまま,81年に42歳でこの世を去った。以後のブラジル映画は世界の映画史から後退したまま今日に至る。

アルゼンチン映画の名を一躍高からしめたのは,レオポルド・トーレ・ニルソンLeopold Torre-Nilsson(1924-78)である。アルゼンチンのブルジョア社会を鋭くえぐった《天使の家》(1957)をはじめとする1950年代から60年代にかけての諸作品が,国際映画祭で受賞,〈映画のボルヘス〉とまでいわれて世界的な評価を得た。しかしそれは本国での評価や人気をしのぐものであったといわれ,事実,名声のみで映画は当たらず,60年代末からは《Mafia血の掟》(1973)のような商業主義的なアクション映画に転向せざるを得ず,作家のボルヘスのより親密な協力を得て新しい映画(〈ゲリラ映画〉〈解放映画〉)をめざした若い世代,すなわち1936年生れのソラナス・フェルナンド(《マルティン・フィエロの息子たち》1974)やフランスに亡命した39年生れのユーゴ・サンチャゴ(《はみだした男》1973)らにとって代わられることになった。

キューバ映画はキューバ革命後,カストロ政権下でキューバ映画芸術産業研究所(ICAIC)が1959年に設立され,サンチャゴ・アルバレス(《ハノイ》1962),マヌエル・オクタビオ・ゴメス(《戦闘の歴史》1962),ウンベルト・ソラス(《マヌエラ》1966)らによる〈革命映画〉〈記録映画〉が推し進められ,注目されている。そのほか,ボリビアのホルヘ・サンヒネス(《ウカマウ》1966,《第一の敵》1973),チリのエルビオ・ソト(《血ぬられた祖国》1969,《サンチャゴに雨が降る》1975),ペルーのアルマンド・ロブレス・ゴドイ(《みどりの壁》1969,《砂のミラージュ》1975)らがいるが,サンヒネス,ソトは,創作活動を続けるためには70年代に国外に亡命せざるを得なかった。そしてそういう政治的状況が,依然としてこれらの国々では続いている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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