ラパツキ
Adam Rapacki
生没年:1909-70
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ラパツキ
らぱつき
Adam Rapacki
(1909―1970)
ポーランドの政治家。ルブフに生まれる。ワルシャワ経済研究所に勤務し、第二次世界大戦中ドイツ軍に拘禁された。1945年に社会党に加入、1948年の共社合同に尽力し、党政治局員となった。1956年に外相に就任し、1957年10月に国連総会で、ポーランド、旧チェコスロバキア、旧東西ドイツを非核武装地帯とする構想(ラパツキ・プラン)を提案した。1968年にゴムルカ政権が保守化した結果、党と政府の職を解任された。
[木戸 蓊]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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ラパツキ
Rapacki, Adam
[生]1909.12.24. リボフ
[没]1970.10.10. ワルシャワ
ポーランドの政治家。ワルシャワ商科大学卒業。イタリア,フランスに留学。帰国後革命運動に参加し,1939~45年ドイツ軍の捕虜となった。 46~48年ポーランド社会党執行委員。 47年国会議員に当選。 48~54,56~68年統一労働者党中央委員会政治局員。その間,47~50年海運相,50~56年高等教育相,56~68年外相をつとめ,中部ヨーロッパに非核地域設定を目指すラパツキ案を提唱した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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ラパツキ
生年月日:1909年12月24日
ポーランドの政治家
1970年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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