日本大百科全書(ニッポニカ) 「アキノ」の意味・わかりやすい解説
アキノ(Corazon Aquino)
あきの
Corazon Aquino
(1933―2009)
フィリピンの政治家。ルソン島中部タルラック州生まれ。1953年アメリカのマウント・セント・ビンセント大学を卒業。1954年生家コハンコ家と同州の経済、政治勢力を二分するアキノ家のベニグノ・アキノと結婚。1972年上院議員の夫が政敵のマルコス大統領によって反逆罪で投獄され、1980年に一家でアメリカに亡命した。1983年夫は帰国しようとマニラ空港に着いたところで暗殺され、これを契機に夫の遺志を継いで政治活動に入る。1986年大統領選挙に立候補し圧倒的な「ピープルズ・パワー」(人民の力)に支持されて当選、マルコスを倒して大統領に就任した。1987年新憲法を実施し、1987年その新憲法下での上下院選挙で圧勝したが、農地改革など根本的な政治改革を果たせず、同政権は7回もクーデターの危機にみまわれた。1992年1期6年で退任。
[編集部]
アキノ(Benigno S. Aquino. Jr.)
あきの
Benigno S. Aquino. Jr.
(1932―1983)
フィリピンの政治家。ルソン島タルラク州出身。1950年アテネオ・デ・マニラ大学を中退し、マニラ・タイムズに入社。1955年政界に進出。タルラク州を経て、1967年上院議員に当選。野党リベラル党幹事長として1971年中間選挙で同党の大躍進を実現した。1973年の大統領選挙ではマルコス大統領の強敵とみられていたが、1972年戒厳令発布と同時に逮捕され、1977年11月軍事法廷で死刑を宣せられた。1980年5月心臓病手術の名目で出獄、渡米を許され、アメリカでマルコス独裁反対運動を続けたが、1983年8月21日帰国直後マニラ空港で暗殺された。その後、妻のコラソン(1933―2009)が反マルコスの象徴的存在となり、1985年末からの大統領選挙に出馬、1986年2月政権を獲得した。
[池端雪浦]