ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リマソル」の意味・わかりやすい解説 リマソルLimassol ギリシア語ではレメソス Lemesós,トルコ語ではルマソル Lımasol。キプロス中央南部海岸,アクロティリ湾にのぞむ港湾都市。同名地方の行政中心地でもある。ビザンチン時代に,イギリスのリチャード獅子心王が上陸したこともある古い都市であるが,15世紀から 16世紀にかけて数多くの敵の侵入や地震などのため,一時非常に衰退した。 19世紀末にイギリスの統治下に入って,町は再興された。 1960年代に港湾施設が改修され,近代的設備を整えた貿易港として,柑橘類,ワイン,鉱産物を輸出するが,ハイファ (イスラエル) ,イスタンブール (トルコ) ,アテネ (ギリシア) などの地中海沿岸都市と定期便で結ばれ,観光基地となっている。海岸にはホテルや旅行案内所が並び,公園,動物園,リマソル城 (15世紀) などがあり,付近にはフェニキアやミケーネの古代植民都市の遺跡がある。農産物の集散地でもあり,煉瓦,タイル,ボタン,清涼飲料水,果物缶詰の工場があり,クロム,石綿の加工も行われる。人口 13万 2100 (1990推計) 。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
改訂新版 世界大百科事典 「リマソル」の意味・わかりやすい解説 リマソルLimassol キプロス南部の港湾都市。ギリシア名レミソスLemissós。ニコシアの南西65km,地中海のアクロティリ湾に臨む。人口17万2500(2004)。豆,ブドウ酒,干ブドウ,石綿,クロムを産する。ブロック,タイル,果物缶詰などの工場が立地する。西部のエピスコピにはイギリス軍基地がある。古代フェニキア人,ミュケナイ人が植民し,十字軍時代,エルサレムに向かう途上キプロスを征服(1191)したリチャード1世が,ナバラ王国の王妃を迎えた地である。16世紀以降のオスマン帝国の支配,それに続くイギリス支配時代から島の国際交易の中心地として繁栄した。執筆者:真下 とも子 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「リマソル」の意味・わかりやすい解説 リマソルりまそるLimassol キプロス南部、アクロティリ湾に臨む港湾都市。ギリシア語名でレメソスLemesós、トルコ語名でレイモスンLeymosunともいう。首都ニコシアに次ぐキプロス第二の都市で、人口19万6553(2001)。キプロス最大の貿易港で、ぶどう酒、果実、野菜などを輸出し、れんが、タイル、織物、セメントなどの工業が立地する。第3回十字軍(1190~92)に参加したイングランド王リチャード1世が、ナバラのベレンガリアと結婚式をあげたという城砦(じょうさい)の教会は現在博物館となっている。[末尾至行] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
百科事典マイペディア 「リマソル」の意味・わかりやすい解説 リマソル キプロス南部の港湾都市。ギリシア名はレミソス。アクロティリ湾に臨み,ブドウ酒,豆類の貿易が盛ん。英国のリチャード1世の結婚式が行われたとされる城砦(じょうさい)が残っている。18万201人(2011)。 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報 Sponserd by