ナバラ(読み)なばら(英語表記)Navarra

デジタル大辞泉 「ナバラ」の意味・読み・例文・類語

ナバラ(Navarra)

スペイン北東部、ピレネー山脈南麓にある自治州。西隣のバスク自治州やフランスのアキテーヌ南部とともにバスク文化圏を形成している。州都はパンプローナ

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ナバラ」の意味・わかりやすい解説

ナバラ(歴史的地方名)
なばら
Navarra

フランスとスペインの国境にまたがるピレネー山脈西部を中心とした歴史的地方名。フランス語名ナバルNavarre。バスク語を用いるバスク地方の一部で、中世に成立したナバラ王国の地。16世紀にスペイン領とフランス領に分かれた。スペインではピレネーの山稜(さんりょう)から南西の、エブロ川に至る範囲を占める自治州(1983年5月以前はバスク・ナバラ地方の一県)の名称となっている。ナバラ州の面積は1万0421平方キロメートル、人口60万5876(2007)。州都はパンプロナ。おもにピレネー山腹を流下するエブロ川支流のアラゴン川、アルガ川などの刻む各峡谷と丘陵からなる地域で、山地では林業、丘陵地ではウシやヒツジの牧畜、ブドウ栽培が行われる。平地はエブロ川本・支流の谷沿いにあり、南部ではトゥデラ市を中心に西側にも広がり、小麦、オリーブ、野菜などの農業が行われる。また、パンプロナを中心に、化学、皮革、製紙、食品などの工業もみられる。左翼勢力が強く、バスク独立運動が盛んであるが、自治権の拡大とともに安定する傾向がみえる。フランス側はピレネーザトランティク県の一部となっている。

田辺 裕・滝沢由美子]

歴史

紀元前1世紀のローマ征服以前からバスク人が居住していた。ポンペイウスはここにポンペヨポリスPompeyópolisを建設、中心地パンプロナの名はこれに由来する。紀元後5世紀には西ゴート人、8世紀にはイスラム教徒が侵入、後者に対抗してシャルルマーニュカール大帝)が侵入したが、『ロランの歌』にあるように778年のロンセスバリエスの戦闘でその一軍を破ったのはこの地のバスク人であった。この間にも自立の傾向は顕著で、レコンキスタ(国土回復戦争)の最古の基地となり、10世紀初めには独立王国(ナバラ王国)を形成、11世紀のサンチョ・ガルセス3世(在位1000~35)の時代には王国が拡大し、イベリア半島の全キリスト教国を統一した。その後アラゴン王国に併合され、またフランスの諸伯が君臨したが、16世紀にフェルナンド5世がスペイン側地域を征服し、スペイン王国に統一された。しかし、この後も特権を維持、独自の身分制議会を開催した。19世紀のフランス軍侵入には抵抗したが、教会と貴族の支配は強力で、カルリスタ戦争(1833~76年の三次にわたるスペインの内戦)ではカルロス派を支持、戦後いっさいの特権を奪われた。その後も同派の地盤で、20世紀のスペイン内戦では早くから反乱派の支配地域に入った。

[深澤安博]


ナバラ(André Navarra)
なばら
André Navarra
(1911―1988)

フランスのチェロ奏者。ビアリッツ生まれ。トゥールーズ音楽院を経て、1927年パリ音楽院を卒業。ベルリンでカール・フレッシュにバイオリンを学ぶ。37年ウィーン国際コンクールで第一位。カザルスに師事してさらに腕を磨き、独奏者・室内楽奏者として活動。62年(昭和37)初来日。バイオリンの奏法を加味した流麗な演奏で知られ、協奏曲のような技巧的な作品より、チェロ・ソナタのような室内楽曲で真価を発揮した。

[岩井宏之]

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改訂新版 世界大百科事典 「ナバラ」の意味・わかりやすい解説

ナバラ
Navarra

スペイン北部,ピレネー山脈南西部の地方。現在のナバラ県と一致する。面積1万0421km2,人口59万3472(2005)。主都はパンプロナ。パンプロナ盆地を中心にバスターン,ロンカル,ロンセスバリェス,アメスコアの各峡谷と丘陵からなり,エブロ川とその支流の南側に沃地がある。山地では林業,丘陵地では牛,馬,羊の飼育に加えブドウ栽培がみられる。平地では小麦,オリーブ,果樹栽培が行われ,化学,製紙,皮革,食品の各工業がある。

 歴史的には,ナバラの中心であるパンプロナはローマ支配時代から注目され,次いで西ゴート族,イスラム教徒に占領された。777年,フランクのカール大帝の侵入後,その辺境領となったが,9世紀末ごろから独立し,ピレネー山脈の南北にまたがる王国を形成した。西ヨーロッパ・キリスト教世界とイベリア半島を結ぶ商業・巡礼路が同国を通っていたため,11世紀のナバラはヨーロッパの新しい息吹きを受け入れ,イベリア半島の国々へ伝えた。13世紀から15世紀にかけてはフランスのシャンパーニュ,エブルー,フォアの3伯家が順次王位を継承した。16世紀初め,カトリック王フェルナンド2世がナバラ王国を征服し,ピレネーの南側はカスティリャに併合され,地方諸特権のみが付与された。一方,ピレネー北側のフォア伯領バス・ナバールは,1589年,アンリ・ド・ナバールがアンリ4世としてフランス王に即位するとフランスに合併された。19世紀半ばカルリスタ戦争勃発で,ナバラはエステリャを中心にカルリスタの伝統主義的カトリック勢力の拠点となった。第1次戦争の終結後,1841年にすべての地方特権が廃止されたが,69年協定で旧慣習法の復活を得,名目上の旧ナバラ王国の政治体制を維持した(フォラール体制)。1936年からのスペイン内乱では反乱軍側の一つの拠点となり,国民戦線を支援した。その後のフランコ体制下では工業化政策によって旧来の伝統的農業社会にも労働不安が波及し,左翼勢力も伸張した。西側のバスク圏内ではバスク地方自治要求運動が活発化し,バスクとの併合問題がもち上がり,重大問題化している。
ナバラ王国 →バスク
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百科事典マイペディア 「ナバラ」の意味・わかりやすい解説

ナバラ

スペイン北部,ピレネー南麓の県で一県一自治州を形成。南はエブロ川で画される。かつてのナバラ王国の一部。丘陵または山地からなり,小麦,ブドウ,オリーブを産し,林業も盛ん。大理石,銅,銀,鉛の鉱産がある。州都パンプロナ。1万390km2。64万129人(2011)。
→関連項目バスク

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世界大百科事典(旧版)内のナバラの言及

【バスク】より

…16世紀以降に創作された伝承文学,中世の神秘を想起させる田園詩,滑歩(パ・グリセ),デカジェ,ロン・ド・ジャンブなどの組合せで,大地や宇宙との接触をリズム感で表現した民族舞踊,中世のポーム球戯から生まれた,テニスのように壁に向かって敵味方が打ち合うペロタ球戯(ハイアライ)など,文化面でも豊かであり,ベレー帽はバスク固有の風俗としてあまりにも有名である。【石原 照敏】
【スペイン・バスク】
 スペイン側のバスク地方はギプスコアGuipúzcoa,ビスカヤVizcaya,アラバAlava,ナバラNavarraの4県からなる。面積1万7675km2,人口267万(1995)。…

※「ナバラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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