リュキア(その他表記)Lycia

翻訳|Lycia

改訂新版 世界大百科事典 「リュキア」の意味・わかりやすい解説

リュキア
Lycia

小アジア南西部の地中海に面した地方の古代名。山がちではあるが,穀物,ブドウ酒,杉材,大理石などを豊かに産した。住民はクレタ島からの移住者と伝えられている。代表的な都市にパタラ,テルメッソス,クサントスなどがある。前546年以来ペルシアの支配下にあり,前468年キモンによって解放されてデロス同盟にも参加したが,再度ペルシアに下った。のちアレクサンドロス大王に従い,彼の死後プトレマイオス朝,ついで前197年にはセレウコス朝の支配下に入った。のちロドスの支配を受け,前169年か前168年ローマによって自由を宣言され,後43年クラウディウス帝治下で,リュキア・パンフュリア州として皇帝直轄の属州とされた。すでに前4世紀からリュキアでは都市の〈連合(コイノン)〉が形成されており,各都市の代表者が集まって議会がもたれ,共通の貨幣が鋳造されるなど国家としての機能を果たしていた。これはローマ帝政下においても多少の制限はあれ存続した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リュキア」の意味・わかりやすい解説

リュキア
Lycia; Lykia

アナトリア南西部の地中海に面した一地方の古名。カリアパンフリアの間にあり,北方でタウロス山脈に連なる。前 14~13世紀の楔形文字史料では,リュキア人はヒッタイト人とギリシア人の勢力圏にはさまれていた。前8世紀には,少くとも 20の都市の連合体としてリュキア同盟が結成され,海上貿易に従事した。アケメネス朝ペルシアの成立とともにその属領となったが,都市連合を中心とする自治は存続した。 43年にローマ帝国属州パンフリアに併合されたが,4世紀以後は独立の属州となった。この地方の遺跡からは,ギリシア風公共建築物のほか,独特の墳墓が出土する。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「リュキア」の解説

リュキア
Lykia

アナトリア西南隅の一地方。ヘロドトスなどが母系制社会存在を伝えていることで知られる。古くから諸国の支配を受けたが,前169年から後1世紀までは自由を保持し,同盟組織を発展させた。

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