ヘロドトス(読み)へろどとす(英語表記)Herodotos

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘロドトス」の意味・わかりやすい解説

ヘロドトス
へろどとす
Herodotos
(前484ころ―前420以前)

古代ギリシアの歴史家。キケロにより「歴史の父」とよばれる。

生涯

小アジアのドーリス地方のハリカルナッソスの名家に生まれる。僭主(せんしゅ)リグダミス打倒の試みに参加して敗れ、サモス島に亡命。紀元前455年ごろいったん帰国したようであるが、その後まもなく研究調査の旅行に出、各地でその成果を口演し、前445年ごろアテネを訪れ、前443年に南イタリアにおけるアテネの植民市トゥリオイの建設に加わって、その市民権を得、そこで死んだと思われる。古代の大旅行家で、その足跡は、東はメソポタミアバビロン、西は南イタリア、北は黒海北岸、南はナイル川を1000キロメートルもさかのぼったエレファンティネ島に及んだ。

[清永昭次]

『歴史(ヒストリアイHistoriai)』

ヘロドトスは、各地での目撃、伝聞、文献などに基づく探究の成果(ヒストリア)を書きため、アッティカ方言と詩語を交えたイオニア方言を用いて、それを大著『歴史』にまとめあげた。これを9巻に分けたのは、前2世紀のアレクサンドリアの文献学者アリスタルコスだったと考えられる。本書においてヘロドトスは、西方のギリシア人と東方のバルバロイの抗争を伝説時代から説き起こし(1巻1~5章)、小アジアのギリシア人を支配し、本土のギリシア人と友好関係を結んだ最初のバルバロイの王国であるリディアの盛衰(1巻6~94章)と、これを滅ぼしたペルシア帝国の発展(1巻95章~5巻22章)の跡をたどり、この帝国に対して小アジアのギリシア人が蜂起(ほうき)したイオニア反乱(5巻23章~6巻42章)を経て、ペルシアの大遠征軍を迎えてギリシアが勝利したペルシア戦争の経過を、前479年まで詳述した(6巻43章~9巻121章)。最後の章(9巻122章)で完結しているか否かについては意見が分かれている。また地理学、民族学的内容のものを中心に、長短さまざまな「脱線」が随所に挿入されているが、ギリシア人とバルバロイの偉大な事績の数々、とくにペルシア戦争とその原因を後世に伝えるという目標(序章)に沿って、東西の対立抗争のクライマックスとしてのペルシア戦争に叙述が集中していくように、全体が構想されている。

 ヘロドトスは天才的な語り手で、その著作は「物語り的歴史」とよばれ、またしばしば、同じ事柄についてのさまざまな資料をそのまま提供しているが、信憑(しんぴょう)性を判断できる場合は資料を選択している。彼には民族的偏見がなく、観念よりも事実への関心が強く、神話を疑うこともあったが、基本的には神々、神託、前兆などを受け入れ、運命と偶然に縛られる世界において、人間はなお行動の自由をもつが、その限界を超えた傲慢(ごうまん)は神々の警告を受け、罰せられると信じた。彼の『歴史』への批判は、トゥキディデス以来続いており、確かに誤った叙述や脱漏などもあるが、今日では信頼性が高いとみる見解が一般的である。

[清永昭次]

『松平千秋訳『歴史』全3冊(岩波文庫)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘロドトス」の意味・わかりやすい解説

ヘロドトス
Hērodotos

前5世紀のギリシアの歴史家。「歴史の父」と呼ばれる。小アジアのハリカルナッソスの出身。若い頃国を追われ,エジプトやリビア,シリア,バビロニア,トラキアなどの各地を歴訪。アテネでソフォクレスとペリクレスを知り,南イタリアのギリシア植民都市トゥリオイの建設に参加,のちアテネに戻った。過去の出来事を詩歌ではなく実証的学問の対象にした最初のギリシア人で,ペルシア戦争とその背景を主題とする『歴史』 Historiai (9巻) はギリシア散文史上最初の傑作とされる。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android