改訂新版 世界大百科事典 「リョンロート」の意味・わかりやすい解説
リョンロート
Elias Lönnrot
生没年:1802-84
フィンランドの民族詩の編者でフィンランド語学者。1853年から62年までヘルシンキ大学フィンランド語教授。貧しい靴屋の7人兄弟の一人として生まれ,極貧の中で育った。長兄の助けで学校に入ったが,学費が続かず何回か学業を中断しなければならなかった。しかし向学心に燃えて1822年トゥルク大学に進学し,ここで歴史学者ベッケルの指導の下でフィンランド民族詩の研究を決意するに至った。27年トゥルク大学が火災に遭ったためヘルシンキ大学に移り医学を修め,32年に博士論文《フィンランド医療魔術について》を提出した。33年巡回医師として北フィンランドの辺地カヤーニに移った。この地を根拠地として民俗学の宝庫ともいえる奥カレリアの村々を訪ね歩き,農民詩人を探し出して口承の民族詩を収集した。この調査で大詩人ペルットネンにめぐり会い,伝承叙事詩を記録することができた。こうした資料を整理編集して《古カレワラ》(1835-36)を出版した。この叙事詩の発掘はフィンランドの知識人に民族の自覚と自信とを与え,独立への気運を盛り上げたばかりでなく,その純朴壮大な詩風は国外でも大きな反響を呼び起こした。そこでさらに調査の範囲を広げ,フィンランド全域と南カレリアおよびエストニアの東側にあるイングリアをめぐって新資料を加え,フィンランド民族詩の決定版として50章2万2795行からなる《カレワラ》(1849)を世に送った。また別に抒情詩と物語詩を《カンテレタル》(1840)にまとめ,ほかにフィンランドのなぞなぞ集(1833)やことわざ集(1842)も著し,最後に《フィンランド民族古代呪文詩》(1880)を集成している。さらに《フィンランド・スウェーデン語辞典》(1866-80)を編纂し,フィンランド語を文化的言語に高めるために大いに貢献した。フィンランド語と民族詩の父である。
執筆者:小泉 保
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報