ロシアのピアノ奏者、作曲家。父はポーランド系ユダヤ人、母はドイツ系ユダヤ人。幼時からピアノを学び、10歳でデビュー。1840~43年ヨーロッパ各地を演奏旅行、44~46年には弟のニコライНиколай/Nikolay(1835―81)とともにベルリンでデーンに作曲を師事。ロシアおよびヨーロッパでリストと並ぶ19世紀最高のピアニストとして活躍した。59年ペテルブルグにロシア音楽協会を創立し、指揮者を務める。翌60年にはこの協会のモスクワ支部がニコライによって設立された。当時のロシア音楽のアマチュアリズムに対する批判から、さらに62年ペテルブルグ音楽院開設に貢献、67年まで院長として職業的音楽家の養成に尽力、ロシア音楽発展の基礎を築いた。作曲家としては、西欧音楽の伝統に基づくロシア音楽の創造を提唱し、国民楽派と対立した。ピアノ曲、オペラ、交響曲、ピアノ協奏曲など作品は多いが、今日ではごく一部しか演奏されない。弟のニコライは66年にモスクワ音楽院を創立、81年まで院長を務め、ピアニストとしてはチャイコフスキーの作品の紹介に努めた。
[寺本まり子]
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