シェフチェンコ(読み)しぇふちぇんこ(その他表記)Тарас Григорьевич Шевченко/Taras Grigor'evich Shevchenko

デジタル大辞泉 「シェフチェンコ」の意味・読み・例文・類語

シェフチェンコ(Taras Grigor'evich Shevchenko)

[1814~1861]ウクライナ詩人画家。ウクライナ国民文学の確立者。革命的傾向のため流刑叙情詩集コブザーリ」、叙事詩「ガイダマキ」など。

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精選版 日本国語大辞典 「シェフチェンコ」の意味・読み・例文・類語

シェフチェンコ

  1. ( Taras Grigor'jevič Šjevčjenko タラス=グリゴリエビチ━ ) ウクライナの民族詩人、画家。絵画のかたわら詩作に従事。圧制の下で苦しむ農奴の悲惨な姿と、自由を求める叫びをうたいあげ、ロシア最初の人民詩人と評される。代表作に叙事詩「ガイダマキ」がある。(一八一四‐六一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「シェフチェンコ」の意味・わかりやすい解説

シェフチェンコ(Taras Grigor'evich Shevchenko)
しぇふちぇんこ
Тарас Григорьевич Шевченко/Taras Grigor'evich Shevchenko
(1814―1861)

ロシア、ウクライナの詩人。3月9日キエフ(現、キーウ)に生まれる。ロシア語によるもの二、三を除き、すべてウクライナ語で詩作し、ウクライナに国民文学を確立した。農奴出身。彼の主人に画才を見込まれ、1831年サンクト・ペテルブルグに上京、絵師のもとに預けられる。詩人ジュコフスキーの知遇を受け、彼と画家ブリュローフの尽力によって、1838年自由の身となる。美術学校に入学、ブリュローフに師事する。入学前に詩作を開始。1840年第一詩集『コブザーリ』を出版、ウクライナの民衆から熱烈な歓迎を受ける。コブザーリとは、ウクライナの民族楽器コブザを弾奏して歌い歩く旅芸人のことで、民衆詩人としての彼の進路を決定づけた表題である。詩集は長短8編の詩を収め、清新の気と、彼の生涯を貫く郷土や民衆への強い愛とに満ちている。1841年、ポーランド人領主に反乱するウクライナ農民を歌った歴史叙事詩『ガイダマキ』を発表。1844年、皇帝夫妻を痛烈に笑い飛ばした叙事詩『夢』、1845年に『異端者』『カフカス』『遺言』などが書かれた。これらは農奴制専制政治を断罪する革命詩人としての彼の本領を十分に発揮した作品である。

 1847年、前年来参加していた秘密政治結社キリロス・メソジオス会の組織が発覚、彼も逮捕される。農奴制を廃止して、スラブ人の民主的連邦国家の創設を目的とするその組織のなかで、彼は革命的手段の行使を主張する最左翼に位置していた。一兵卒として中央アジアで10年の流刑生活を送り、1857年本国に帰還。翌年から1861年の死までサンクト・ペテルブルグで、ロシアの進歩陣営の人たちとの接触を強めつつ、最後の詩作活動を行った。彼の詩は流刑中の作品100編余を含めて、総数200編を超えるが、その基調は柔軟な感受性と現実批判の精神である。ほかにロシア語の小説9編と戯曲2編とがある。1857年6月12日の日付で始まる『日記』は、資料的価値のほかに文学作品の性格をも備えている。画家としての存在も大きい。1861年3月10日サンクト・ペテルブルグで没。

[小松勝助]

『渋谷定輔編『シェフチェンコ詩集 わたしが死んだら』(1964・国文社)』『小松勝助訳『コブザーリ』(『世界名詩集大成12』所収・1959・平凡社)』


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改訂新版 世界大百科事典 「シェフチェンコ」の意味・わかりやすい解説

シェフチェンコ
Taras Grigol'evich Shevchenko
生没年:1814-61

ウクライナの国民的詩人,画家。農奴の子に生まれ,年若くして孤児となり,悲惨な少年時代を送ったが,早くから詩と絵の才能を示した。18歳の時,主人の命令で画工の修業をさせられた。画家ブリュローフ,詩人V.A.ジュコーフスキーは彼の画才を認め,1838年地主から2500ルーブルで彼の身分を買いとった。自由の身になって美術アカデミーに入り,ブリュローフに師事した。アカデミー在学中の40年に,郷土と民衆に寄せる深い愛を歌った詩集《コブザーリ(吟遊詩人)》を発表,ウクライナの国民詩人としての地位を確立した。47年自由で民主的な全スラブ民族の団結を目ざす秘密結社〈キリル・メトディウス団〉の一員として逮捕され,一兵卒として10年間流刑生活を送るという試練にあったが,反帝政,反専制の態度をくずさず,抑圧されたウクライナ人の悲しみを歌い続けた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シェフチェンコ」の意味・わかりやすい解説

シェフチェンコ
Shevchenko, Taras Grigor'evich

[生]1814.3.9. モリンツイ
[没]1861.3.10. ペテルブルグ
ロシア,ウクライナの詩人,画家。農奴の家に生れ,幼くして両親を失ったが,1838年ジェコフスキーらの奔走により自由の身となり,美術学校に学んだ。 40年,貧苦にあえぎ,自由を叫び求める農民の姿をうたった最初の詩集『コブザーリ』 Kobzariを出版,ウクライナ文学史に新時代を開いた。 47年革命運動に参加したために逮捕,10年間の流刑生活をおくった。代表作に,農民一揆を描いた叙事詩『ガイダマキ』 Gaidamaki (1841) ,政治詩『夢』 Son (44) ,『コーカサス』 Kavkaz (45) ,専制政治の打倒を呼びかけた『遺言』 Zaveshchanie (45) などがあり,ウクライナ最大の国民詩人とされる。そのほかロシア語で書いた小説9編,戯曲2編があり,画家としてもすぐれた作品を残している。

シェフチェンコ

「アクタウ」のページをご覧ください。

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百科事典マイペディア 「シェフチェンコ」の意味・わかりやすい解説

シェフチェンコ

ウクライナの詩人。農奴の出で民衆と郷土への愛をうたい,ウクライナの国民詩人といわれる。農奴制に反対しウクライナ解放をめざす秘密結社〈キリル・メトディウス団〉に参加して10年の流刑生活を送った。詩集《コブザーリ》(1840年),叙事詩《ハイダマキ》がある。画家としても有名である。現代のウクライナでも民族の統一を象徴する存在。
→関連項目フルシェフスキー

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世界大百科事典(旧版)内のシェフチェンコの言及

【ウクライナ】より


[ウクライナのルネサンス]
 1798年に刊行されたイワン・コトリャレフスキー(1769‐1838)の《エネイダ》は,近代ウクライナ文語の発展の始まりを意味するものであり,19世紀のウクライナ民族のルネサンスの開始を告げるものであった。農奴出身の詩人T.G.シェフチェンコ(1814‐61)はその力ある詩と生涯により,ウクライナ民族を代表する詩人となった。1846年キエフで結成された政治結社キリル・メトディウス団にはシェフチェンコのほか,歴史家で作家のパンテレイモン・クリシ(1819‐97),歴史家で作家のN.I.コストマーロフ(1817‐85)など,19世紀のウクライナを代表する知識人が参加し,スラブ連邦形成,農奴制廃止などを掲げたが,47年全員逮捕され,とくにシェフチェンコはその詩の反ロシア的な内容を理由に中央アジアへ10年間の流刑となった。…

【ウクライナ語】より

…14世紀後半以降ポーランドの支配下にあった南西ロシアの言語とモスクワの大ロシア語との分化が進行し,17世紀中ごろまでにウクライナ語,ベラルーシ語,ロシア語の差は決定的となった。現代文語の主要規範は詩人T.G.シェフチェンコ(1814‐61)によって確立されるが,ロシア帝政期にはその教育や公的使用が禁じられ,1917年の革命後初めて独立の国語として正書法,語彙,文法の標準化が進められた。北,南西,南東の3方言のうち,標準語の規範を与えているのは南東方言である。…

【キリル・メトディウス団】より

…1845年12月から46年1月にかけてキエフで結成された。中心的組織者はM.I.フラク,V.M.ビロゼルスキー,M.I.コストマーロフで,これにP.O.クリシ,詩人のシェフチェンコなどが加わり,46年秋にはその団員は12名を数えた。綱領的文書として《ウクライナ民族創世記》《聖キリル・メトディウス団規約》が残されており,前者は旧約聖書の《創世記》の体裁を踏襲している。…

※「シェフチェンコ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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