ルリア(読み)るりあ(英語表記)Александр Романович Лурия/Aleksandr Romanovich Luriya

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルリア」の意味・わかりやすい解説

ルリア(Aleksandr Romanovich Luriya)
るりあ
Александр Романович Лурия/Aleksandr Romanovich Luriya
(1902―1977)

ソ連の心理学者。カザンの生まれ。父はユダヤ人の医者。革命混乱期のカザン大学を1921年に卒業、さらにそれと並行して2年間通学していた医学校を卒業、1923年にはモスクワ心理学研究所所長コルニロフKonstantin Nikolaevich Kornilov(1879―1957)に招かれてその共同研究者となり、そこでレオンチェフAleksei Nikolaevich Leont'ev(1903―1979)およびビゴツキーと知り合う。1936年ソ連の心理学者は自己批判を迫られたので、それを機会に彼はもう一度医学部に入り、その後神経心理学の研究に専念、第二次世界大戦中からは脳障害者の高次心理的過程の研究に従事した。英訳を通して西側の諸国にもよく知られたソビエト心理学者の一人である。若いころから精神分析への関心があり、またビゴツキーの影響が強く、パブロフ流の考え方に満足せず、文化による思考様式の違い、双生児の心的発達、行動の言語的調整などに関する研究で知られている。著書に『言語と精神発達』(1959)、『人間の脳と心理過程』(1966)などがある。

[宇津木保]

『松野豊他訳『言語と精神発達』(1969・明治図書出版)』『松野豊訳『人間の脳と心理過程』(1976・金子書房)』


ルリア(Salvador Edward Luria)
るりあ
Salvador Edward Luria
(1912―1991)

アメリカの分子生物学者。イタリア生まれ。トリノ大学で医学を学び、1940年アメリカに渡り、コロンビア大学で1941年からファージ遺伝学の研究を始める。1943年M・デルブリュックとともに、細菌のファージ抵抗性株の出現が、環境に対する適応ではなく、自然突然変異が環境により選択された結果であることを証明し、細菌遺伝学の基礎を築いた。また、デルブリュック、ハーシェイとともにファージ・グループの中心として、ファージが指数関数的に増加すること、ファージ干渉現象紫外線で不活化したファージを多量に菌に感染させると活性化する「多重感染活性化」の現象など、ファージ研究の基礎的な現象を多く明らかにし、またT2ファージの写真を初めて撮影した。1969年、デルブリュック、ハーシェイとともにノーベル医学生理学賞を受賞。

[石館三枝子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルリア」の意味・わかりやすい解説

ルリア
Luria, Salvador Edward

[生]1912.8.13. トリノ
[没]1991.2.6. マサチューセッツ,レキシントン
アメリカの遺伝学者。トリノ大学で医学を学ぶ。パリのパスツール研究所で,ファージを扱うための実験技術を修得。 1940年渡米,コロンビア大学で研究。 M.デルブリュックらとともに,研究グループ (のちにファージグループと呼ばれる) をつくる。 42年,電子顕微鏡観察により,ファージが頭部と尾部の2部分より成る構造をもつことを発見。 43年,デルブリュックとの共同研究で,ファージを加えて細菌を培養したときにファージ耐性菌が現れる原因は細菌の突然変異であることを見出し,細菌で突然変異の起ることを証明した。 45年,A.ハーシーとは独立にファージで突然変異が起ることを明らかにする。 50年よりマサチューセッツ工科大学教授。 53年に著わした『一般ウイルス学』 General Virologyは,教科書として広く用いられている。 69年にファージに関する研究で,デルブリュック,ハーシーとともにノーベル生理学・医学賞を受賞。

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