改訂新版 世界大百科事典 「精神発達」の意味・わかりやすい解説
精神発達 (せいしんはったつ)
人間の精神の機能や構造が,その個体発生において分化し統合していく前進的過程をさして用いられる心理学の用語。精神発達とほぼ同義で〈発達〉の語を用いることが多い。精神発達を研究対象とする心理学の専門分野として発達心理学がある。
精神発達の規定要因
精神発達を主に規定するのは遺伝か環境か(あるいは成熟か学習か)という問題をめぐって,古来さまざまな研究と議論が行われてきた。研究のおもな方法としては,人間的・文化的環境から隔離されて育ったとみられる野生児の研究,知能などの優秀者または劣等者を多数うみだした家系を調査する家系法,一卵性双生児を二卵性双生児や兄弟と比較する双生児法,親子間の知能やパーソナリティの類似度を比較する方法などが用いられた。しかし,これらの方法による研究の結果は必ずしも一致しなかった。その後,遺伝か環境かと二者択一的に問うこと自体に無理があるとされ,遺伝も環境もという二要因説があらわれた。その代表的なものにシュテルンW.Sternの輻輳(ふくそう)説がある。二要因説にもとづく研究では遺伝,環境の両要因が精神発達にそれぞれ何%ずつ寄与するかということを問題にするものが多かった。しかし今日では,精神発達はこれら二要因の加算的寄与によって進むのではないとの見方が有力となり,両要因の寄与を前提として認めたうえで,それらがどのように相互作用しながら精神発達を規定していくのかを解明すべきだ,とする相互作用説が広く採用されている。
精神発達の過程
精神発達はその一面をみれば量的変化の過程である。たとえば,語彙(ごい)や与えられた材料を記憶できる量は,年齢の増加に伴って徐々に増大していく。また知能テストを実施すれば,そのテスト得点は年齢とともに数値が上昇していく。しかし,同時に精神発達の過程は質的にも変化をとげていくという面をもっている。すなわち,外界の刺激の取入れや外界への働きかけにおける主体の心理活動の基本様式が質的に変化していくのである。たとえば,子どもはまだことばが獲得できていない段階(生後1歳前後まで)では,感覚と運動によって対象を認識し操作する。また対人関係においても表情や動作によって自己の要求を表現する。ところがことばが獲得されてからは,対象の認識においてことばが重要な役割をはたすし,対人関係においても言語によるコミュニケーションが主たる方法ないし形態となる。J.ピアジェは主体の心理活動の基本様式を〈操作〉と呼び,操作が感覚運動的なレベルからはじまり,具体的・実際的な場面において対象に対して論理的思考を行う〈具体的操作〉を経て,具体的な場面や具体的な対象を離れても論証の形式にしたがって論理的思考を行える〈形式的操作〉へと精神発達が進むとした。またS.フロイトは性心理的機能に視点を当て,口唇期,肛門期などと続く人格発達の過程を論じた。
このように,精神発達は量的変化の過程であると同時に質的変化の過程であるが,主として後者の側面に注目するときに発達段階ということばが用いられる。しかし,個体発生においていくつもあるとみられる発達段階が,どこでどう区分できるのかについては学説上の一致がない。人間の精神機能のどの側面を重視するかという点で,研究者間に相当なちがいがみられ,それに対応して多彩な発達段階論が提起されているのが今日の状況である。またある発達段階から次の発達段階への移行がどんな要因がどう働き合って実現していくのかについては,今のところどの学説においても明確でない。
精神発達と教育
主体が環境との相互作用のもとでその心理活動の基本様式を質的に変化させていく(発達段階が区分できる)のだとすれば,精神発達を促す教育の内容や方法はそれとの関係で選択されていかなければならない。極端な例をあげれば,ピアジェのいう〈具体的操作〉の段階にいる子どもに〈形式的操作〉を必要とするような教育内容を与えても,教育効果はあがらないわけである。
いずれにせよ発達と教育の関係はどうあるべきかという問題は単純明快なものではない。そこでこれまた古くからさまざまな議論がなされてきたが,それは大別すれば二つに分けられる。その一つは,精神発達を基本的には自生的なものとみ,環境や教育の影響を認めるにしてもそれを相対的に小さくみる立場のものである。この場合,教育は,自生的なものとしての発達ができるだけスムーズに進むように側面から働きかけるものと考えられており,まず発達があり,それに応じて教育の内容や方法を選ぶという関係になる。いわば発達のあとに教育がついていくというべきものである。もう一つは,ソ連のL.S.ビゴツキーなどが主張したもので,教育は子どもが現在達成している発達に依拠すると同時に,近い将来達成するであろう発達の内容を先どりして,その内容や方法を選ぶという関係に立つべきだとする考え方である。これはいわば発達に先回りする教育という関係論である。しかし,発達と教育の関係のあり方については,精神発達における遺伝と環境の両要因の相互作用の実相や,ある段階から次の段階への移行の条件やメカニズムの問題の究明と深くかかわっているので,結論は今後の課題として残された状況にあるといわなければならない。
執筆者:茂木 俊彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報