ロヒルカンド(英語表記)Rohilkhand

改訂新版 世界大百科事典 「ロヒルカンド」の意味・わかりやすい解説

ロヒルカンド
Rohilkhand

インド北部,ウッタル・プラデーシュ州北西部の地方名。北はヒマラヤ山脈最前山のシワリク丘陵,西はガンガーガンジス)川,東はアウド地方との境界にあたるほぼ東経80°線付近によって囲まれた三角地帯をいう。ガンガー川支流のラーマガンガー川水系の流域平野にあたる。北部ほど湿潤で,最北部はかつてはタライの森林帯が東西に延びトラ,ゾウなどの生息地であったが,20世紀になって開拓が進行した。西部は動力揚水式管井戸,中・東部は用水路をもとに灌漑農業が発達し,小麦,米,サトウキビなどの産が多い。バレーリー,ラーンプルなどの主要都市には製糖製油,機械,電機などの諸工業が立地する。前5世紀ころの十六大国時代のパンチャーラ国の北部にあたり,古い歴史をもつが,歴史時代を通じて諸外来民族による侵入と征服が繰り返された。ムガル帝国の衰退に乗じて1740年代以降アフガン系のロヒラ族が支配し,地名は同族に由来する。74年にイギリス東インド会社軍の支援を得たアウド王国に併合され,さらに1801年にイギリス領となり,インド独立時に及んだ。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロヒルカンド」の意味・わかりやすい解説

ロヒルカンド
Rohilkand

北インド,ウッタルプラデーシュ州の北西部の地域名。アウラングゼーブ (在位 1658~1707) の死後,アフガン系のロヒラ族が統治していたが,1774年ロヒラ戦争によりラーンプル一帯を残し,他の全域アワドに併合された。 1801年アワドの太守 (→ナワーブ ) がロヒルカンド全域をイギリス東インド会社に割譲したため,ラーンプル侯は藩王となった。

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世界大百科事典(旧版)内のロヒルカンドの言及

【バレーリー】より

…今日の町は,ムガル朝時代の1657年,藩主マクランド・ライによりその基礎が築かれ,当時のとりでが今に残る。17世紀初頭にアフガニスタン方面から進出したロヒラ族が支配の拠点を築いたので,そのロヒラ族の地方(ロヒルカンド)の中心都市となった。1801年,東インド会社領に編入され,57年の第1回反英独立戦争(インド大反乱,セポイの反乱)では一拠点ともなった。…

※「ロヒルカンド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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