現代外国人名録2016 「ロマンポランスキー」の解説
ロマン ポランスキー
Roman Polanski
- 職業・肩書
- 映画監督,脚本家,俳優
- 国籍
- フランス
- 生年月日
- 1933年8月18日
- 出生地
- パリ
- 本名
- リブリング,ロマン
- 学歴
- ウージ国立演劇映画高等学校(ポーランド)卒
- 受賞
- アカデミー賞監督賞(第75回,2002年度)〔2003年〕「戦場のピアニスト」,ベネチア国際映画祭国際映画批評家連盟賞(第23回)〔1962年〕「水の中のナイフ」,ベルリン国際映画祭審査員特別賞(第15回)〔1965年〕「反撥」,ベルリン国際映画祭金熊賞(第16回)〔1966年〕「袋小路」,ゴールデン・グローブ賞監督賞(第32回,1974年度)「チャイナタウン」,ベネチア国際映画祭特別功労賞(第50回)〔1993年〕,ルネ・クレール賞〔1999年〕,カンヌ国際映画祭パルムドール(第55回)〔2002年〕「戦場のピアニスト」,BAFTA賞作品賞・監督賞〔2003年〕「戦場のピアニスト」,チューリヒ映画祭功労賞〔2009年〕,ベルリン国際映画祭銀熊賞(最優秀監督賞,第60回)〔2010年〕「ゴーストライター」,ヨーロッパ映画賞作品賞・監督賞〔2010年〕「ゴーストライター」,セザール賞監督賞(第36回,2010年度)〔2011年〕「ゴーストライター」,セザール賞監督賞(第39回,2013年度)〔2014年〕「毛皮のヴィーナス」
- 経歴
- ユダヤ系のポーランド人。パリに生まれ、3歳の時ポーランドに戻ったが、7歳の時一家は強制収容所に入れられ、母はそこで死んだ。その後脱出し1941〜45年他人の家庭で育てられる。’47年14歳の時クラクフの演劇学校に入り舞台に立つ。’54年ウージの国立演劇映画高等学校に入学。’57年短編映画を監督。’62年処女長編「水の中のナイフ」がベネチア国際映画祭で国際批評家連盟賞受賞、アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされ、一躍世界に注目される。同年アムステルダムで「ダイヤモンドの河」を製作した後、’63年パリに移る。’64年女優バルバラ・ラスと結婚したがすぐに離婚、’68年1月女優シャロン・テートと結婚し、渡米。その年オカルト映画の幕を開いた「ローズマリーの赤ちゃん」を監督、世界中で大ヒットする。’69年8月臨月に近いシャロン・テートがヒッピーに惨殺されるという事件が起こり、英国に引きこもる。その後、再び渡米。’77年ロサンゼルスで少女暴行事件を起こし、裁判では有罪判決を受けたが、保釈中の’78年に映画撮影などと偽って欧州へ逃亡。同年米国当局は国際指名手配を出した。以後、パリを拠点に映画活動を再開。’79年「テス」でアカデミー賞撮影賞など3部門を制する。2002年の「戦場のピアニスト」でカンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)、アカデミー賞監督賞を受賞。舞台では「ルル」「リゴレット」などを演出し、「アマデウス」のモーツアルト役、カフカの「変身」の主役などを務める。他の監督作に「反撥」(1965年)、「袋小路」(’66年)、「吸血鬼」(’67年)、「マクベス」(’71年)、「チャイナタウン」(’74年)、「フランティック」(’88年)、「赤い航路」(’92年)、「死と処女」(’94年)、「ナインスゲート」(’99年)、「オリバー・ツイスト」(2005年)、「ゴーストライター」(2010年)、「おとなのけんか」(2011年)、「毛皮のヴィーナス」(2013年)など。2009年9月、1977年の少女暴行事件に関連して、スイス司法当局に身柄を拘束され軟禁状態に置かれたが、2010年釈放された。自伝に「Roman by Polanski」。1989年33歳年下のフランス女優、エマニュエル・セニエと3度目の結婚。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報