ワイツマン

改訂新版 世界大百科事典 「ワイツマン」の意味・わかりやすい解説

ワイツマン
Chaim Weizmann
生没年:1874-1952

シオニズム運動の指導者。ロシアに生まれ,ドイツで学び,のちイギリスのマンチェスター化学者として活躍。とくに第1次大戦中,弾薬製造に不可欠の原料の生産に大きな功績をあげ,W.チャーチルらイギリスの有力な政治家たちの知己を得た。青年時代から〈シオンの友Chovevei Zion〉に属し,また政治的シオニズム運動の創始者ヘルツルの信奉者であったワイツマンは,イギリス政府高官に働きかけ,1917年バルフォア宣言を出させることに成功し,パレスティナでのユダヤ人国家建設の緒をつくった。20-29年世界シオニスト機構World Zionist Organization議長として,イギリスの庇護のもとにパレスティナのユダヤ人入植をすすめ,その発展をはかろうとした。イギリス政府が彼の要望にこたえず,また運動内部にも批判が高まったため,一時は運動から身を引くが,35年再度議長に選ばれる。48年イスラエル建国後その初代大統領となる。著書自叙伝《試行錯誤Trial and Error》(1949)がある。
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百科事典マイペディア 「ワイツマン」の意味・わかりやすい解説

ワイツマン

シオニズム運動家,化学者。ワイズマン,バイツマンとも。ロシア生れ。ベルリンフライブルクで化学を学び,渡英してマンチェスター大学で化学の講座をもち,またアセトンの大量生産法を考案。第1次大戦中からヘルツルに共鳴してシオニズム運動を指導した。イギリス高官に働きかけてバルフォア宣言を引き出すことに成功し,パレスティナにユダヤ人国家建設の基礎を確立した。イスラエル建国後初代大統領(1949年―1952年)。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ワイツマン」の解説

ワイツマン
Chaim Weizmann

1874〜1952
イスラエルの政治家・化学者
ポーランド生まれのユダヤ人。強力火薬の開発を行ういっぽう,シオニズム運動を指導し,バルフォア宣言を得てパレスチナにユダヤ人の国を建設する基礎を固めた。イスラエル共和国の建設とともに初代大統領に選出された。

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