わなの理論(読み)わなのりろん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「わなの理論」の意味・わかりやすい解説

わなの理論
わなのりろん

おとり捜査において、官憲による働きかけがなければ、これに応じて相手方犯意を抱くことがなかった場合、これを現行犯等により検挙できるかという問題に関する考え方。すなわち特定の犯罪教唆し、この「わな」にはまって相手が実行した場合、そこには、(1)わなを用いた官憲等の行為が犯罪捜査として適法か、(2)わなにかけ犯罪を誘発した官憲の行為も、未遂犯の教唆犯(または幇助犯(ほうじょはん))として処罰されるべきではないか、(3)官憲によりわなにかけられた犯人の行為を処罰しうるか、といった問題がある。おとり捜査がやむをえない手段として正当化される場合には、官憲の行為は教唆犯としての違法性が阻却され、その反面、官憲に誘発された犯人の行為は処罰されうる(麻薬取締法違反事件に関する昭和28年3月5日最高裁判所第一小法廷決定)。これに対して、おとり捜査が憲法第31条の保障する「適正手続デュー・プロセス)」に違反すると解すれば、官憲の行為は処罰され、逆に、官憲により誘発された犯人の行為は不可罰とされるか、少なくとも公訴棄却または免訴とされることになる。

 この点につき、麻薬及び向精神薬取締法第58条は、「麻薬取締官及び麻薬取締員は、麻薬に関する犯罪の捜査にあたり、厚生労働大臣の許可を受けて、この法律の規定にかかわらず、何人(なんぴと)からも麻薬を譲り受けることができる」と規定している。また、平成16年7月12日最高裁判所第一小法廷決定は、麻薬犯罪等の捜査において、通常の捜査方法のみでは犯罪の摘発が困難な場合、機会があれば犯罪を行う意思があると疑われる者に対しておとり捜査を行うことは、刑事訴訟法第197条第1項に基づく任意捜査として許容されるとしている。これに対して、おとり捜査につき許容する特別法が存在しない限り違法であると解する立場からは、このような規定がない場合、被教唆者の行為が未遂犯にあたる以上、官憲がこれを教唆する行為も未遂犯の教唆として可罰的であるとされる。

[名和鐵郎]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のわなの理論の言及

【おとり捜査】より

…捜査機関またはその協力者(おとり)が犯罪を犯しそうな者に接近して犯罪に導き,犯罪の実行をまってこれを捕らえる捜査方法。従来,日本では,ヨーロッパ諸国にならって,おとりを教唆犯として罰しうるかという点のみが問題とされ(アジャン・プロボカトゥールagent provocateur(〈教唆する刑事巡査〉)の問題),犯罪実行者は当然罰しうるとされていた。しかし,国家がみずから犯人を作り出しながらこれを捕らえて罰するというのは不公正の感を免れず,アメリカでは犯罪実行者の処罰自体を問題にする(わな(エントラップメントentrapment)の理論)。…

※「わなの理論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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