アガトクレス(その他表記)Agathoklēs

改訂新版 世界大百科事典 「アガトクレス」の意味・わかりやすい解説

アガトクレス
Agathoklēs
生没年:前360-前289

シラクサ僭主,王。シチリア島北岸に生まれ,シラクサに移住外敵との戦い名声を得て民主派指導者となり,前316年,寡頭派を倒して僭主となった。アクラガスカルタゴと戦い,シチリア島東半を支配下収め,前304年には王を称し,南イタリアにも進出したが,前289年,後継者に立てようとした同名の子を殺されたため,民主派に政権を引き渡し,間もなく病死した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アガトクレス」の意味・わかりやすい解説

アガトクレス
Agathoklēs

[生]前361. テルマエヒメラエアエ
[没]前289. シラクサ
古代シチリア,シラクサ (→シラクーザ ) の僭主 (在位前 317~304頃) ,のちに王 (在位前 304頃~289) 。前 343年頃シラクサに出,軍隊で頭角を現す。前 317年軍を率いて寡頭政打倒,みずから僭主となり,シチリアのギリシア人と戦い多くの都市を制覇した。前 310年カルタゴと戦い,シラクサを包囲されたが,脱出して敵本拠アフリカをついて成功。前 307年敗れたが,翌年和を結んでカルタゴ勢をシチリア西部に封じ込めた。前 304年頃王を称し,南イタリア,アドリア海に進出したが,死後シチリアのカルタゴ勢が再び強力となった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アガトクレス」の意味・わかりやすい解説

アガトクレス
あがとくれす
Agathokles
(前361―前289)

ヘレニズム時代のシチリア島シラクサの僭主(せんしゅ)。寡頭派支配の打倒を目ざして、二度にわたり追放されたのち、紀元前317~前316年に傭兵(ようへい)の力でシラクサの僭主となり強国策を行った。前311年カルタゴ軍によって攻撃を受け包囲されると、アフリカに上陸して逆にカルタゴ市を攻め、敵の攻囲を失敗させた。カルタゴとの講和(前306)後シチリア島の大部分を支配し、前304年にはシチリア王を称した。のちには南イタリアにまで及ぶ大王国の建設を目ざしたが果たせなかった。

[篠崎三男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

山川 世界史小辞典 改訂新版 「アガトクレス」の解説

アガトクレス
Agathokles

前361~前289

ヘレニズム時代のシチリア政治家シラクサ僭主(せんしゅ)。前319年ないし前316年頃シラクサの覇権を握り,カルタゴ勢力と戦い,前304年王となる。軍事・外交的手腕によりシラクサの最盛期をもたらした。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のアガトクレスの言及

【シチリア[島]】より

…その後一時民主政が興ったが根付かず,前5世紀末の前後2回にわたるアテナイ軍遠征の失敗とカルタゴの侵入はシチリアにおける内紛を再燃させ,その収拾の過程で再び僭主政が興った。シラクサを中心として,ディオニュシオス1世ディオニュシオス2世アガトクレスらの僭主が出現した。この間,前4世紀前半に哲人王を理想としたプラトンが3度シラクサを訪れたことは有名である。…

※「アガトクレス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android