アブラコマ場所・ホロイツミ場所(読み)あぶらこまばしよ・ほろいつみばしよ

日本歴史地名大系 の解説

アブラコマ場所・ホロイツミ場所
あぶらこまばしよ・ほろいつみばしよ

ホロイツミ場所は現在の幌泉ほろいずみえりも町域に設定された場所で、一七九九年(寛政一一年)東蝦夷地が幕府直轄領となったのち、それまでウラカワ場所の東隣に設定されていたアブラコマ場所(持場)が、西半のシャマニ場所(現在の様似町域を範囲とする)と東半のホロイツミ場所に分割されたことによって成立した。ただし広義のアブラコマはのちのホロイツミ、シャマニ両場所を合せた地域名として用いられたが、狭義では単にのちのホロイツミ場所、あるいはその一部(東半)をさしていう場所もあった。

津軽一統志」の「松前より下狄地所付」には、現えりも町から十勝支庁にかけての所付として「たもし」「おたへつ」「ぬるへつ」「とまり」「とかち」「せう屋」「ゑるも崎」「大とかち」が順にあげられている。「えりも町史」は「とかち」「せう屋」「ゑるも崎」の書上順に錯誤があり、「ゑるも崎」「せう屋」「とかち」が正しい順と推定して、「おたへつ」はヲタベツ歌別うたべつ、「ぬるへつ」はポンヌイ(ポンナイ、ホンヌル)油駒あぶらこま(現東洋)のうち、「とまり」はとまりで油駒、「ゑるも崎」は襟裳えりも岬付近、「せう屋」は庶野しよやにそれぞれ比定している。「たもし」の比定地については諸説があり、「とかち」「大とかち」は十勝地方に比定される。同所付によると「おたへつ」には「蠣崎蔵人商場」とあり、家五、六軒、「ぬるへつ」は家四、五軒、「ゑるも崎」は家四、五軒、「せう屋」は家一〇軒ほど、「とまり」には家数は記されていないが、「澗有」との注記がある。なお「たもし」は松前藩直領で「川有 澗有」との注記がある。支配所持名前帳によると、戸勝とかち(十勝)運別うんべつ(ウンベ、海辺、現様似町)、泊、田沢たざわ(現江差町)、登沢アツ(不明)にある合せて四五ヵ所の鳥屋(鷹などの狩場)は蠣崎蔵人の支配であった。また享保十二年所附では浦川(ウラカワ)のうちとして「ほろいつみ」「たもち」「ゑりも」「泊り」がみえる。

初めは知行を宛行われた家臣(アブラコマは蠣崎氏)自らが交易を行っていたが、しだいに請負人に任せる家臣が多くなった。「蝦夷商賈聞書」によればアブラコマは家老蠣崎内蔵丞の預地で、産物は鮫油、アブラメ(アイナメのことで、アブラコともいう)縄などで、アブラメは一尺五寸ぐらいのものを塩を切り、樽詰にした。船は三〇〇石積が年に一度やってきて、運上金は「年々不同」であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android