日本大百科全書(ニッポニカ) 「アマミキュ・シネリキュ」の意味・わかりやすい解説
アマミキュ・シネリキュ
あまみきゅしねりきゅ
沖縄の開闢(かいびゃく)神話に登場する始祖神の名称。古伝承を記したと思われる袋中和尚(たいちゅうおしょう)の『琉球神道記(りゅうきゅうしんとうき)』(1605)には、天からアマミキュ(女)、シネリキュ(男)という男女2人が下ってきて、波に漂っていた小さな島に木や草を植えて、沖縄の国土を形づくったとある。
2人は、陰陽の和合はないが、居住が並んでいたので往来の風によって孕(はら)み、3子を産んだ。長子は所々の主、次子は女性祭祀(さいし)者の祝(のろ)、三子は土民の祖となったという。この神話は、天界出自、国土創造、人類起源を主題とし、日本神話の伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冉(いざなみ)二神による国生み神話と類似する要素をもっている。その一方で、琉球(りゅうきゅう)王朝の政治、宗教的支配による階層秩序の反映という土着的な要素も認められる。
創世神話を詠み込んだ『おもろさうし』巻1(1623)には、テダ(日神)がアマミキュ・シネリキュを召して島造りを命じたことが記されているが、『混効験集(こんこうけんしゅう)』(1711)に従ってこれを男女二神とすれば、以前は太陽信仰が創世神話とかかわっていたことが推察される。テダがのちに「天」になり、『中山世鑑(ちゅうざんせいかん)』(1650)に至って、「天帝」というように人格化されていく経緯が明らかである。
[鈴木正崇]