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アメリカ植民協会 アメリカしょくみんきょうかいAmerican Colonization Society

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アメリカ植民協会
アメリカしょくみんきょうかい
American Colonization Society

アメリカ合衆国の解放黒人奴隷やその子孫アフリカへ移住させることを目指した組織。1816年創立。奴隷買い戻し,解放,旅費支給,到着後の生活援助などを行ない,1821年のちにリベリアとなる土地を購入。1867年までに 6000人を移住させた。南部の反対で連邦政府の援助が実現せず,また奴隷の即時無条件解放を要求したウィリアム・L.ギャリソンらも移住は解放された人材の流失を招くと反発,左右両極の反対で 1840年以降衰退し,1912年に解散した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アメリカ植民協会
あめりかしょくみんきょうかい
American Colonization Society

アメリカ合衆国の自由黒人(生まれつき自由かあるいはなんらかの方法によって自由の身となった黒人奴隷)の国外植民を目的として、1816年末、ニュー・ジャージー州の長老派教会の牧師ロバート・フィンリーRobert Finley(1772―1817)によって、首都ワシントンに設立された組織。19世紀初頭の自由黒人の急激な増加(1790年の約6万人から1810年には約18万6000人)を背景に、自由黒人の存在を奴隷制への脅威とみる奴隷所有者ばかりでなく、彼らの悲惨な状況の救済を願う奴隷制反対派の人々や聖職者などの間にも、黒人の国外植民を望む声が高まっていた。協会は当初こうした広範な人々の支持を集めて結成され、1822年にはアフリカ西海岸にリベリアが建設された。しかし、合衆国内で奴隷制をめぐる対立が深まるにつれ、協会は奴隷制自体の是非を論じないという立場を堅持したため、南部と北部の双方から批判された。とくに1830年代以降はギャリソンら奴隷制廃止運動家からの激しい攻撃を受け、資金難や内部の対立などと相まって、しだいに衰退した。また、植民の当事者である自由黒人は、協会設立当初から概して批判的であった。[竹本友子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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