カタールの衛星テレビ局。同国の首都ドーハに本部がある。アル・ジャジーラとは、アラビア語で「島」つまり「アラビア半島」を意味する。1996年、カタールの首長シェイク・ハマド・ビン・ハリーファ・アル・サーニSheikh Hamad bin Khalifa al-Thani(1952― )が設立。代表はシェイク・ハマド・ビン・サマル・アル・サーニSheikh Hamad bin Thamer al-Thani(1962― )。カタール王族から資金1億5000万ドルを借り受け、停止されたイギリスBBC放送アラビア・テレビ・ネットワークのサービス技術のインフラと上級スタッフを採用して開局した。年間経費は3000万ドルであった。開局時のスタッフは500人。その後、2002年に英語の字幕放送を開始して以来、規模が拡大。2004年の時点で、ドーハ本部に750人以上が働き、全世界に24の支局と駐在員事務所を置き、約180人が常駐している。東アジアでは、東京、北京(ペキン)に支局があり、香港(ホンコン)、ジャカルタ、クアラルンプールに特派員がいる。
アル・ジャジーラの視聴契約者は約3500万人であるが、世界には3億1000万人のアラブ系市民がいる。同局は「ひとつの意見があれば、別の意見もある」をモットーに、アラブ系市民をターゲットとしてニュースや時事番組、討論やドキュメンタリー番組を放送している。たとえば、シリア人司会者の「反対意見」、クウェート出身のジャーナリストの司会による「無制限」、レバノン人司会者の「ひとつ以上の意見」などでは、アラブやイスラエルの対立など、アラブ地域のタブーに挑戦するような話題も取り上げている。それは、同局がBBCによって開拓された「公共サービス放送」という概念を取り入れ、人間生活の複雑さを反映させ、議論を必要とする問題や争点を取り扱う番組づくりを志向しているからである。このような点で、価値多元化社会を反映したグローバリズムの時代における新たな放送の可能性を追及し、欧米主導の世界のメディア界に一石を投じた放送局だといってよいだろう。
アル・ジャジーラが、アラブ以外の国々からも注目される契機になったのは、1998年にオサマ・ビンラディンのインタビューを放送し、ビンラディンがイスラム教徒に「アメリカの利益」を攻撃するよう呼びかけたことによる。さらに、同局の存在そのものを広く世界に知らしめたのは、2001年アメリカ同時多発テロの後、アメリカのブッシュ大統領に対抗してビンラディンによる「テロに対する闘い」の映像を定期的に放映したときに始まる。このときの放送は、アメリカ政府には、欧米のメディアが展開する価値観とは異なった放送活動として映った。また、2001年のアメリカによるアフガニスタン報復攻撃、2003年のイラク戦争でも、欧米メディアが報じた記事の「裏側」を提供するとして、死体映像や破壊映像など「殺される側からの放送」を行ったが、そのために、これら両戦闘ではアメリカ軍の攻撃対象にもなった。アル・ジャジーラのウェブサイトにはハッカーが侵入し、2004年にはバクダード支局の閉鎖という事態に追い込まれたが、このような同局への攻撃は、「新しい戦争」の時代には、メディアも標的になることを証明し、戦時下のメディア活動の逼迫(ひっぱく)感と閉塞(へいそく)感を全世界に印象づける要因となった。
[門奈直樹]
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