翻訳|earthwork
「地球の作品(大地の芸術)」という名のとおり、野外、それも広大な大地や河川を舞台に大規模に展開される芸術。ランド・アートland artともいう。1960年代末のアメリカの芸術において顕著な傾向の一つとなる。「環境芸術」とほぼ同じ意味で用いられることもあるが、もともとはアメリカの芸術家たちによる上記の特定の傾向を指す。代表的な芸術家として、ロバート・スミッソン、マイケル・ハイザーMichael Heizer(1941― )、ウォルター・デ・マリアWalter de Maria(1935―2013)らがいる。スミッソンは、湖岸に岩石を用いて全長約450メートルにおよぶ巨大な螺旋(らせん)を描いた『螺旋形の突堤』(1970、ユタ州グレート・ソルト・レーク湖岸)で、ハイザーはU字型の断崖に向かい合うようにして二つの巨大な窪みを掘った『ダブル・ネガティブ』(1969~1970、ネバダ州)で、そしてデ・マリアは、荒野に整然と並べた無数の避雷針で雷を誘導し、その様子を作品とした『閃光の場』(1977、ニュー・メキシコ州)でそれぞれ知られる。ほかに主要な芸術家としてはデニス・オッペンハイムDennis Oppenheim(1938―2011)、ナンシー・ホルトNancy Holt(1938― )らがいる。
彼らの作品は、自然に対するロマンティックな感情から生まれたといわれることもある。だが実際には、作者たちの自然に対する態度は、そう単純なものではない。自然との関係を重要とは考えていても、それはけっして手つかずの自然の美しさに回帰するということではないからである。そのことは彼らの作品が、谷や湖のような自然環境に介入してあからさまな人工物をつくるという点で、むしろ「環境破壊」に近づいてしまっていることを見ても明らかである。
ではカウンターカルチャーの嵐が吹き荒れた1960年代後半のアメリカで、こうした作品はいったいなにを目指していたのか。答えの一つは、美術館やギャラリーといった、芸術にまつわる制度に対する批判である。つまり、芸術をできた端から権威化し、また新しい魅力をもった商品として消費してしまう美術館やギャラリーという「制度」に対抗する方法として、物理的にそうした空間に収まらない作品であることが、ひいては作品がそれがつくられた場所と一体化して初めて価値をもつものとなることが目指されたのだった。この点でアースワークは、同時期のボディ・アート(アーティストの身体そのものを素材として使う美術)やコンセプチュアル・アートと同じ問題意識を共有している(人間の身体による行為や思考は、美術館やギャラリーが独占的に「閉じこめておく」ことができない)。また円や直線など幾何形態が用いられることは、作品それ自体のほかにはなにものも表すまいとするミニマル・アートの姿勢を継承している。
こうして1960年代の末から1970年代を通じて盛んに制作されたアースワークだったが、多くの観客は現地に赴(おもむ)くことなく、美術館にあるドキュメント映像で満足してしまうこと、また多額の制作費がかかることなど現実的な理由もあって、1970年代なかばになるとしだいに終息していった。野外での制作という方法論はイギリスのリチャード・ロングやアンディ・ゴールズワージーAndy Goldsworthy(1956― )らに引き継がれたが、岩や草木を素材につくられた彼らの繊細な立体作品と、アメリカの広大な大地にほとんど暴力的なスケールで展開される作品とのあいだには、やはり決定的な違いがある。またなんら謎めいたところのない、あっけらかんとした形や行為によるそれらの作品は、同じように広大な大地に展開されるとはいえ、空からの光を神秘的に見せようとするジェームズ・タレルの一連の作品とも性格を異にしている。
[林 卓行]
『ジョン・バーズレイ著、三谷徹訳『アースワークの地平――環境芸術から都市空間まで』(1993・鹿島出版会)』
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