イプシランディス(英語表記)Aléxandros Ipsilántis

改訂新版 世界大百科事典 「イプシランディス」の意味・わかりやすい解説

イプシランディス
Aléxandros Ipsilántis
生没年:1792-1828

ギリシアの新興貴族ファナリオット)の出身イスタンブールの生れ。祖父(同名)はオスマン帝国のドラゴマン(通訳官)を務めたのちワラキアモルドバの公となり,父(コンスタンディノス)も同様の道をたどったが,1807年露土戦争の際ロシアへ亡命した。イプシランディスもロシアへ移住し軍人となり,ナポレオン戦争で左腕を失ったが,戦功により17年には陸軍少将に昇進し,皇帝の副官に抜擢された。彼はフリーメーソンに属しデカブリストの友人も多い自由主義者だったが,20年にギリシア人の秘密結社エテリアの最高指導者に選ばれた。ロシア皇帝の援助を期待した彼は,21年2月モルドバに入り,エテリアの蜂起宣言をおこなった。エテリア蜂起はギリシア人をはじめバルカン諸民族の支持をえたが,皇帝が蜂起を否認するに及んで志気を失い,ワラキアのドラガシャニDrǎgǎşaniでのトルコ軍との会戦ののちトランシルバニアへ逃亡,メッテルニヒによりムンカーチ(現,ムカチェボ)要塞に監禁された。27年ロシア皇帝のはからいで釈放され,翌年ウィーンで死去。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「イプシランディス」の解説

イプシランディス
Aleksandros Ipsilantis

1792~1828

ギリシア独立を掲げた秘密結社フィリキ・エテリア総司令官オスマン帝国のギリシア人商人貴族層の出身。ロシア軍に従軍し皇帝アレクサンドル1世の副官を務めた。のちのデカブリストとも交流し,自由主義的な思想を身につけた。1821年に開始した蜂起はギリシア独立戦争発端となった。この蜂起はまもなくオスマン軍に鎮圧された。オーストリアに逃亡したが,逮捕,投獄され,のちに獄中死した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イプシランディス」の意味・わかりやすい解説

イプシランディス
Ypsilantis, Alexandros

[生]1792.12.12.
[没]1828.1.31.
ギリシア独立戦争の指導者。ファナリオテス出身の貴族。ロシア軍に勤務したが,1820年ギリシアの秘密結社「フィリキ・エテリア」に入り,21年に義勇軍を率いてロシアからモルドバ,ワラキアに進軍したがオスマン帝国軍に敗北,オーストリアへ逃げたが,逮捕,投獄された。この反乱がギリシア独立戦争の発端となった。

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367日誕生日大事典 「イプシランディス」の解説

イプシランディス

生年月日:1792年12月12日
ギリシア独立戦争の指導者
1828年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のイプシランディスの言及

【エテリア】より

…彼らはフリーメーソンやカルボナリの影響をうけ,秘儀的な入社式や厳格な位階制を設けたが,その組織網は18年以降,東欧からオーストリア,イタリアの諸都市へもひろがった。20年,最高指導者にロシア陸軍少将A.イプシランディスが選ばれて蜂起計画をすすめ,当初はモレア(ペロポネソス)半島へ直行して蜂起する予定だったが,結局ワラキア,モルドバのドナウ両公国を経てバルカンを南進し,諸民族を加えた一斉蜂起の策がとられた。21年1月にはエテリアと通じていたT.ブラディミレスクがワラキアで農民蜂起をおこした。…

※「イプシランディス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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