イルクーツク(英語表記)Irkutsk

翻訳|Irkutsk

精選版 日本国語大辞典 「イルクーツク」の意味・読み・例文・類語

イルクーツク

(Irkutsk) ロシア連邦東南部、バイカル湖の西方にある商工業都市。かつては帝政ロシアシベリア総督府がおかれ、行政・経済の中心地であった。

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デジタル大辞泉 「イルクーツク」の意味・読み・例文・類語

イルクーツク(Irkutsk/Иркутск)

ロシア連邦中部の都市。イルクーツク州の州都。バイカル湖の南西約70キロメートル、アンガラ川とイルクート川の合流点に位置する。シベリア東部の経済・交通の要地であり、化学・機械などの工業が盛ん。人口、行政区58万(2008)。17世紀半ばにコサックとりでを築いたことに起源し、毛皮の集散地として発展。帝政ロシア時代は政治犯の流刑地だったほか、第二次大戦後は日本人の主な抑留地の一つだった。

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改訂新版 世界大百科事典 「イルクーツク」の意味・わかりやすい解説

イルクーツク
Irkutsk

ロシア連邦東部,イルクーツク州の州都。人口58万2547(2004)。アンガラ川とイルクート川の合流点に位置し,バイカル湖の西66kmにある。シベリア横断鉄道のほぼ中央にあって(チェリャビンスクから3252km,ウラジオストクから3245km),交通の要衝であると同時に,東シベリアの政治・経済・文化の中心の一つでもある。1661年アンガラ川右岸の砦として建設され,86年市となる。18世紀の初めからロシアの中国およびモンゴルとの通商上の通過都市として重要視され,1764年イルクーツク県の県都となり,1803年からはシベリア総督府が,22年からは東シベリア総督府がこの町に置かれた。帝政時代には政治犯の流刑地であるとともに,デカブリストやロシア帝国地理学協会員らによって積極的に文化活動が行われ,東シベリアの政治と文化の中心となった。また18世紀半ばには,日本人漂流民を教師とする日本語学校も開設され,ロシアの極東,カムチャツカ,北アメリカへの進出の拠点ともなった。人口は1823年1万5700,55年2万4000,97年5万1400,1917年9万0800,26年9万8900,39年25万0600,59年36万6000と増加し,現在にいたっている。ロシア革命直後の1918年1月4日にソビエト政権が樹立されたが,18年7月から19年12月までコルチャーク将軍麾下の白衛軍に占領され,20年1月25日ふたたびソビエト政権下に復帰した。

 イルクーツク市はアンガラ川,イルクート川,ウシャコバ川の三つの川によって四分され,市内のアンガラ川には水力発電所がある。産業は各種工作機械の製造をはじめとして,金やダイヤモンドの採掘,鉱物資源の精錬,旋盤やプロペラシャフトの製造,電気製品のための雲母の加工,建設など各種の工場がある。軽工業の分野には食品,家具,皮革,繊維産業が発達している。イルクーツク市はまた東シベリアの文化的中心で,ロシア科学アカデミー・シベリア支部に属する各種の研究所のほかに,1918年に設立された総合大学,工科大学,農業大学,教育大学,外国語大学,経済大学,医科大学がある。劇場としては,ドラマ,ミュージカル・コメディ青年人形劇のために四つがあり,交響楽団サーカス,テレビジョン・センター,プラネタリウム,博物館,美術館もある。

 イルクーツク州は面積76万7900km2,人口253万(2006)で,気候は大陸性。イルクーツクの月平均気温は1月-15℃,7月19℃。雨は少なく年間降水量は400mmでその大部分は夏の後半から秋の初めにかけて降る。1年のうち160~170日が雪で覆われ,植物が生育するのは116~127日である。人口の88.5%はロシア人であるが,ウクライナ人,ベラルーシ人,タタール人,チュバシ人もかなり多い。なおブリヤート人は7万7300人いるが,このほかに4万9000人がバイカル湖西側のウスチオルダ・ブリヤート自治管区に住んでいる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「イルクーツク」の意味・わかりやすい解説

イルクーツク
いるくーつく
Иркутск/Irkutsk

ロシア連邦中部、イルクーツク州の州都。東シベリアのもっとも重要な経済中心地の一つ。バイカル湖の西方66キロメートル、アンガラ川とイルクート川の合流点に位置する。人口59万6400(1999)。シベリア鉄道の重要駅、アンガラ川運輸の河港、自動車道の交点、重要な空港があるなど、交通の要地。付近に古い炭鉱、製油所、市内に水力発電所(66万キロワット)があって工業が発達している。重機械類、工作機、金・ダイヤモンド採取用の浚渫(しゅんせつ)機、溶鉱装置、選鉱機、自在回転軸、旋盤などの機械製造業、雲母(うんも)加工(無線、電機用)、建設資材、鉄筋コンクリート製品などの製造業、軽工業(縫製、家具、履き物、メリヤス、皮革、フェルト製長靴)、食料品(茶、マカロニ、菓子、肉、乳業、製粉、総合飼料)の工業がある。市内にはロシア科学アカデミー・シベリア支部の諸研究所、総合・単科諸大学、美術館、博物館、劇場などがあって、学術、文化の中心地でもある。

 市街はアンガラ川の両岸にまたがり、右岸は都心で政治・商業地域、左岸には鉄道駅、科学アカデミー支部の街区、工業地域がある。1661年に右岸に建設された柵(さく)(砦(とりで))が町の発端で、1686年に市となり、東シベリアの行政中心地、モンゴルおよび中国との貿易中継地として発達した。帝政時代は政治犯の流刑地。1918年にソビエト政権が樹立されたが、ロシア革命後、反革命軍との抗戦を経て、1920年1月にソビエト政権下に帰属した。1991年ソ連解体後はロシア連邦に所属している。石川県金沢市の姉妹都市。

[三上正利]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イルクーツク」の意味・わかりやすい解説

イルクーツク
Irkutsk

ロシア中東部,東シベリア南部,イルクーツク州の州都。バイカル湖南西部北岸に近く,同湖から流れ出るアンガラ川にイルクート川が合流する地点に位置する河港都市で,東シベリアの行政,経済,文化,交通の中心地。 1652年コサックの冬営所が設置されたことに始り,61年要塞が築かれ,86年市となった。モンゴル,中国,ザバイカリエ,レナ川流域などと連絡する交通の要地としての利点をもつことから,交易中心地として急速に発展。 19世紀後半より工業も発展しはじめ,1898年シベリア横断鉄道が通じて,重要性を増した。帝政時代は政治犯の流刑地でもあった。東シベリアの工業中心地として機械 (鉱山,工作,電気) ,アルミニウム精錬,雲母加工,食品 (茶,食肉,油脂,製粉,菓子) ,皮革・製靴,家具などの工業が発達している。またノボシビルスクに次ぐシベリアの文化中心地で,科学アカデミー・シベリア支部の各種研究所,イルクーツク大学 (1918) をはじめとする多数の大学,美術館,歴史博物館,プラネタリウムなどがある。シベリアのサンクトペテルブルグといわれた美しい落ち着いた都市で,アンガラ川右岸の旧市街には木造家屋やクレストフスカヤ聖堂など古い建築物が残っている。また市域は左岸にも拡大し,工業地区や住宅地となっている。シベリア鉄道が通るほか,ヤクートハイウェーの起点であり,アンガラ川の水運でバイカル湖,ブラーツクと連絡。また空路により全国主要都市,モンゴルと結ばれている。なお 1754~1816年には日本語学校が設置されていた。人口 58万7225(2010)。

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百科事典マイペディア 「イルクーツク」の意味・わかりやすい解説

イルクーツク

ロシア,東部シベリアの工業都市。同名州の州都。バイカル湖の西約60km,アンガラ川に面し,機械,金属,食品工業などが行われ,アンガラ川に水力発電所がある。シベリアの政治・経済の中心地の一つで,1918年創立の大学のほか,教育・文化施設も多い。1661年創設され,露清貿易の中継地および金産出の基地として発達。ロシアに漂着した大黒屋光太夫が滞在したことでも知られる。1803年シベリア総督府,1822年からは東シベリア総督府がおかれた。第2次大戦後は約5万人の日本人兵士が抑留された(シベリア抑留)。57万9988人(2009)。
→関連項目バイカル[湖]ホブスゴル・ノール[湖]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「イルクーツク」の解説

イルクーツク
Irkutsk

ロシアの東シベリアの都市。シベリアの政治・経済の中心で,1803年シベリア総督府,22年東シベリア総督府が置かれた。政治犯の流刑地としても有名。1918年白軍に占拠されたが,20年ソヴィエト政権が復活。

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